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基本の、その一歩先へ -大井町アレックス・ランドルフ生誕100周年イベント参加体験記-

不思議な夢を見た。
空へと続く、長い、長い階段に、延々と登り続ける、そんな夢だ。
階段の先は終着点すら見えず、青空へ吸い込まれるような細く長い階段を、必死になって駆け上がる、息があがる、足が重くなる、そんな気持ちを抱えながらハッと目が覚めた。

慌てて手元のスマホで「夢占い 階段」と調べる。
「焦る気持ち」「現在の状況をすぐにでも変えたいという気持ち」などの言葉をぼんやり眺めたのち、僕はやれやれといった気持ちで2度目の眠りについた。

2度目の朝。
いつものように日課4コマのネタを探す途中、ふと、大井町ボードゲームカフェ「Popcorns」様で「アレックス・ランドルフ生誕100周年記念ゲーム会」が開催されていたことを思い出した。

創作が続き、家から出ない日も重なったことで、外出の欲も高まったからだと思う。
現状を変えたいなど今朝見た高尚な夢はどこへやら。僕はいつものように勢い勇んでTwiplaへの申し込みを済ませ、日課の4コマを描きあげたその足で、大井町駅へと向かった。

アレックスランドルフの作品が遊べる本イベント、初心者を謳っているように、ランドルフの作品は実に「初心者でもベテランでも楽しめる作品」が多い。
難しい分析論はなくあくまで感じたことに過ぎないが、初めてプレイする人でも飲み込みやすいルール、そして、何度も遊ぶことで自分なりの試行錯誤が見えてくる、思わず試したくなる。
とはいえ、僕の安直な分析論より、記念サイトの分析を読んだ方が早いことはたしかだ。

参考「アレックス・ランドルフ100周年記念サイト」より

2.Popcorn様へ


テンビリオンポイント様所蔵の巨大ハイパーロボット

入店後、店内右手には巨大ハイパーロボットもお目見えしている。この作品は、今年6月に日本語版が一般発売された名作ボードゲームだ。

本イベントでは店内のボードゲームに加え、多くの参加者が、見慣れないボードゲームを多数持参する会となり、何の気兼ねもなく手ぶらで参加した僕はひたすら肩身の狭い思いをした。
パッケージからタイトルまで、初めて目にする作品がテーブルを占拠する。
初めて見るボードゲームも多く、自分の勉強の浅さをことごとく痛感する。

カンガルー、DIE HEISSE SCHLACACHT(冷たい料理の熱い戦い)は、「ウミガメの島」の原盤
見聞きするのも初めての作品ばかり。眼福。

余談だが、ランドルフ最後の公開作品とも呼ばれる Rüsselbandeも、GP社から「こぶたのおんぶレース」として日本語版が発売されたばかりだ。
生誕100周年を迎えた今もまだ、こうして老若男女問わず多くの方へ作品を提供される、月並みな言葉だが、まさにレジェンドと呼ぶにふさわしい。

さっそく卓を囲み、テレビ番組でも何度か取り上げられた名作「チャオチャオ」をプレイする。

プレイ中の写真を撮り忘れたため、説明書の画像を……。

作品に初めての方も交えてのプレイ。ゲーム説明を得意とする「ふなっち」氏が丁寧にかみ砕きながらルールを説明する。

簡単に説明すると、ダイスを振って進むすごろくであり、自分のコマを数マス先のゴールに送り込めば勝利となる。
が、肝心のサイコロは振った人しか確認できない。ウソをつき、出た目以上のマス目を宣言するのもOKである。ただし、ウソだと見破られた場合、食虫植物のうごめく谷底へ真っ逆さまだ。

そう、まさに基本はすごろくだ。ただし通常のすごろくと違い、ハッタリが通れば好きなだけコマを動かすことができる。
なるべく多く進みたいが、ウソを見破られるとコマが一つ減るため、上手くハッタリを効かせながら先に進む度胸が必要となる。
少々乱暴だが「サイコロの出目に従わないすごろく」とも呼べる。

発想力の訓練の一つに「◯◯がない▲▲」を想像する訓練がある。日常生活で当たり前となったものから、仮に一つ抜いたときにどうなるかを考える、固定観念にとらわれない発想力を鍛える訓練だ。

僕の知る氏の作品は、何かそのように発想の広げられた作品が多い印象を受ける。
僕の好きな「Worm up(ワームアップ、イモムシイモムシ)」もそれだ。サイコロも、マス目もない、なんなら、ゴールすら動かすこともできる。それでもちゃんとすごろくとして成り立つ、その逞しい発想力に毎度感服する。

このトランプゲームを知っただけでも収穫

2ゲーム目はDump、氏の作品としては珍しい「トリックテイク」だ。
裏面にスート(マーク)が描かれたトランプを使用する。

専門的な説明となり申し訳ないが、端的に言うと、マストフォローのトリックテイク、対面同士ペアを組み、トリックの勝者がカードを獲得、数字がそのまま得点となる。
絵札はすべて0点、Aは最強ながら1点しか獲得できない。
何より、裏面から誰が何のスートを持っているかが常に確認できるため、トリックの戦略が多少練りやすくなった反面、対面となるパートナーとの相互協力が必要となる。

情報とは本来「隠れて見えない箇所を推理する」力を必要とする。
本作では数多くの情報が「見えている」。カウンティング(場のカードを記憶する行為)のできる人ならば、カードのすべてが見えているかもしれない。
しかしながら、唯一迷彩化された「相手の気持ちを汲み取る」部分が、通常の対戦ペアゲームよりさらに特出されたように感じる。
「敵の持ち合わせないスートや、逆に味方へパスのできるスートが、見えているからこそ生まれる、新たな想像力」
初めて体験する感覚に、その場の全員がうんうんと唸る。

創作の時間を捻出しての参加だったため、主役となる草場純先生へのご挨拶は叶わず。早々に帰宅した。

お邪魔もの世界選手権日本代表の方に「ほぼ日の記事全部見てました!」と伝える衝動を必死で抑える44歳。

3.帰りながら(黄昏)


名著は時代を超えて読み継がれる、とは、数多くの名著に冠せられる言葉だ。
ボードゲームも、それこそデジタルゲームや伝統ゲームも、「楽しい」が時代を超越して楽しまれる、そう考えると、何かすごく不思議な気持ちになった。

僕の想像だにしない数のボードゲームを手がけ、多くの弟子にその実力を継承しつつ、残された作品に「イズム」のようなものが植え付けられたような、ひとり爽やかな気持ちに浸りながら帰宅の途に着いた。

愛される作品には、必ず理解者が現れる、だから自分も努力しなくては。
今朝の階段の夢は、それを伝えたかったのかもしれない。

僕は勝手にそう思うことにし、また机に向かい、創作活動へとペンを走らせた。



<参考>大井町「Popcorns様」

アナログゲームミュージアム
TwitterID :https://twitter.com/analoggamemusem

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