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6/18 ヒッチコック八咫烏生前葬

先週、ヒッチコック-八咫烏生前葬-という生誕ワンマンに行った。
ヒッチコックを聴くようになって約4ヶ月、ヒッチコックは楽曲がすごく好みで気になっていたバンド。
一度、某バンドのワンマンのOAでヒッチコックを拝見したことはあるのだがその時は曲の予習も何もせずに見てしまった事を悔やんだ。

前述の後悔から曲を聴き込みワンマンでヒッチコックを見て、これぞヴィジュアル系だなという感想を持った。
天誅、一人でライブに行く時は後方で暴れずに曲とバンドの織りなすパフォーマンスの世界観に浸りたいので大人しく棒立ちで見る事が多いのだが、ヴィジュアル系によくあるドロドロとした感情を歌い上げる八咫烏さんのパフォーマンスは、どことなくex-東京ミカエル。の眞田一航氏を彷彿とさせた。
八咫烏さん、眞田一航氏を彷彿とさせるのは割と闇を抱えて生きているのではないか。
ただ、バンドマンにとって闇というのは時に誰かの心の隙間を埋めるパフォーマンスや楽曲となって世に出るのだ。

楽曲に関しては「鼠」という曲があるのだけど、どことなく初期のヴィドール感を感じるのも、ヒッチコックが天誅に刺さるポイントなのかもしれない。
「天使」とか「ましら」はすごく良い曲だと思う。
「鰐」なんかはすごくライブ映えする良い楽曲だ。
名曲揃いではあるが特に「ましら」の歌詞、

無責任な心配より優しい本当が欲しい

の部分、ライブで実際聞いたらなんて核心を突いた言葉なんだろう。と天誅は涙ぐんだ。
実際、天誅自身生きるのが下手過ぎてどうしようもならなくなる時しかないんだ。
無責任な心配をしてくれる人も、優しい本当をくれる人も、天誅にはいないことに気づいた。
不思議と悲しくは無かった。
「ましら」の最後の歌詞は

疲れたから私もう死んじゃうね

って救いようのない終わり方なのに、どこかうまく生きられない天誅を肯定してくれているような気がして心が安堵する不思議な感覚になれる。
心に寄り添ってくれるヴィジュアル系バンドは、どこか安定剤のような存在でもある。
うまく生きられなくてもいいんだよな。そんな気持ちにさえなれる。

ヒッチコックを見た感想として、割と暴れられるバンドだなという印象。前方で暴れるバンギャは美しい。暴れるってライブを心から楽しんでるのが滲み出てるから、天誅は美しく暴れるバンギャが大好きだ。

八咫烏生前葬、とてもいい上映会でした。
ときめきを買えるバンドもとても魅力的ではあるが、心にグッとくるバンドもなかなかいいものだな。と思った。
とても良いものを見せてもらったので、次の上映会にも足を運ぶつもりである。

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