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キム・ファンギ (김환기)


漢字名:金煥基
英語名:Kim Whanki
本館   :김해(金海)
湖       :수화(水和)
1913-1974 🇰🇷

* Overview

韓国の抽象芸術家の第一世代に属し、韓国抽象美術の先駆者であり、20世紀韓国美術を代表する画家。

韓国の山川と空、月と雲、白磁と伝統模様など非常に韓国的な素材を持ってますます抽象化させ、点、線、面でこれを表す全面点火を描いた。同系色のパターンのうねりでキャンバスを埋め尽くすようなものが特に印象的だが、鮮やかな梅の花や白い壺(満月壺)を描いたものもある。

* History

1913年   全羅南道で
                裕福な地主の長男として生まれる
1925年頃? 姉と暮らすためソウルへ
1931年   東京へ密航(密航!?)
                錦城中学校に入学
                (神田にある)
                現 錦城学園高等学校かな…
1932年   帰国
                勉強を続けたいとするも
                父親に反対されたため
                再度東京に密航(密航…)
1933年   日本大学芸術学部に入学
                アヴァンガルド洋画研究所に参加
                東郷青児藤田嗣治に師事
1935年   二科展入選
                ひばりの歌う時 <종달새 노래할 때>

韓国のモチーフを単純化した形式として平面画面に組み込むという実験。アンリ・マティスやパブロ・ピカソの作品に興味を持っていたとされる。

1936年   ギル・ジンソプ(길진섭)らと
                白蛮会(백만회)を組織
1937年   東京天城ギャラリーにて
                初個展の後、韓国に帰国
1938年   韓国から作品を
                日本自由芸術家協会に提出
                (〜1941年)
1944年   最初の妻と離婚
                詩人イ・サン(이산)の未亡人である
                ピョン・ドンリム(변동림)と再婚
1945年   第二次世界大戦 終戦
                日本の統治から解放
1946年   ソウル大学美術大教授
1947年   신사실파(新事実派)の結成
1948年   大韓民国成立
                이승만(イ・スンマン)体制

壺と花 <백자와 꽃> (1949)

韓国の古美術品や陶器を収集。
特に月壺(タルハンアリ)など伝統と現代性を調和させるための美的解決策として自国・韓国の陶器を採用し、純粋な構成と単純化されたオブジェクトを提示したいという願望。

1950年   朝鮮戦争 開戦
1951年   釜山に疎開

壺と女性 <항아리와 여인들> (1952)

1953年   朝鮮戦争休戦協定締結
                ソウルに戻り弘益大美術大教授に
                壺の作品を繰り返し制作
1954年   芸術院の会員となる
1956年   渡仏、パリやニース、
                ブリュッセルなどで個展
1959年   帰国、再び弘益大学校教授
                芸術院初代会員
                韓国美術協会理事長
1963年   第7回サンパウロ ・ビエンナーレ
                名誉賞受賞
1964年   渡米
               「전면점화(全面点火)」シリーズ誕生

1970年   第1回韓国美術大賞
              「どこで何になってまた会おうか
                <어디 서 무엇이 되어 다시 만나랴>

1974年   死去
1978年   銀冠文化勲章


* Related

アヴァンガルド洋画研究所
古賀春江・東郷青児らが主宰した、日本で最初の前衛美術を標榜した洋画研究所。

古賀春江
(1895-1933 🇯🇵)
日本の初期のシュルレアリスムの代表的な画家。

東郷青児
(1897-1978 🇯🇵)
独特のデフォルメを施され、柔らかな曲線と色調で描かれた女性像などが有名。後期には版画や彫刻も手掛け、雑貨のデザインや本の装釘も数多い。
ダンディで社交的であったことから女性スキャンダルも少なくない。

藤田嗣治
(Léonard Tsugouharu Foujita 1886-1968 🇯🇵🇫🇷)
日本生まれのフランスの画家・彫刻家。フランスに帰化後したので洗礼名はレオナール・ツグハル・フジタ。
黒田清輝らのグループ(印象派・写実主義)とは折が合わず、1913年単身パリへ渡りモディリアーニなど新しい20世紀のアーティストと交流。
個展開催のため南北アメリカへ渡り、1933年日本へ帰国。
第二次世界大戦後の1945年、GHQに戦争画の収集作業に協力させられた事に嫌気がさしフランスに戻り、1955年フランス国籍取得。

────────────────────イ・サン
(이상,李箱 1910-1937 🇰🇷)
本名:김해경(キム・ヘギョン)
日本統治期の韓国の詩人、作家、小説家、エッセイスト、建築家。27歳という若さで死去したこともあり、独特な世界観のインパクトは大きい。

ピョン・ドンリム
(변동림 🇰🇷)
イ・サンの妻であったが、その死により結婚生活は4ヶ月のみ。
1944年、キム・ファンギと再婚。
パリで美術史と美術評論について勉強し、キム・ヒャンアン(김향안)という名でパリを素材としたエッセイを書き、1964年画壇に登場した。

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イ・スンマン
(이승만,李 承晩,Syngman Rhee 1875-1965 🇰🇷)
朝鮮の独立運動家で、大韓民国の初代大統領(在任1948年~1960年)。

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新事実派 (신사실파 )
左右のイデオロギー闘争から離れて存在し得る「現実の新しい形成」の認識に貢献することを目的。

ユ・ヨングク
(유영국,YYK 1916-2002 🇰🇷)
「山の画家」として知られる、韓国の現代美術を文脈化して定着させるだけでなく、全体的な方向性を設定する上で重要な役割を果たした人物。キム・ファンギとともに韓国の抽象絵画の二人の巨匠とみなされる。

イ・ギュサン
(이규상,李揆祥 1918-1964 🇰🇷)
極端に単純化させた形と面の記号空間を追求し、本能的に前衛精神を具現した作家とされている。

[参加メンバー(主)]
チャン・ウッチン
(장욱진,Chang Ucchin 1917-1990 🇰🇷)
現代韓国芸術家の一人。
韓国の風景、動物、子供たちを素朴で素朴な画風で描いた油絵で知られる。

ペク・ヨンス
(백영수 1922-2018 🇰🇷)
円形の丸い顔とやわらかいグリーンで表現された、子どもの素朴さとシンプルで穏やさが特徴。一貫して家族の姿を通じて幸せのイメージを創出した。

イ・ジョンソプ
(이중섭 1916-1956 🇰🇷)
油彩画の他、極貧の物資窮乏時期に煙草や菓子の銀紙に描いたもの、妻子に送った日本語の絵手紙などがあり、牛や鶏、子供や家族などが最も多く登場するが、郷土的、童話的な要素が取り込まれているのが特徴。
日本留学時に日本人である山本方子と出会い、戦時中である1945年結婚。結婚後、山本方子は「이남덕(イ・ナムドク)」と名乗る。朝鮮戦争による済州島での避難生活で極度の貧困のため祭祀を日本へ帰すが、その後1度だけ日本に渡り会ったのみで、以後会えないまま死去。
没後の再評価により韓国の「国民画家」とされる。

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どこで何になってまた会おうか
<어디 서 무엇이 되어 다시 만나랴>
キム・グァンソプ(김광섭)の詩「夕方(저녁에)」から引用されたもの。

저렇게 많은 별 중에서
별 하나가 나를 내려다본다
이렇게 많은 사람 중에서
그 별 하나를 쳐다본다
밤이 깊을수록
별은 밝음 속에 사라지고
나는 어둠 속에 사라진다
이렇게 정다운
너 하나 나 하나는
어디서 무엇이 
다시 만나랴

あんなにたくさんの星の中から
一つ星が僕を見下ろすと
こんなにたくさんの人の中で
その星一つを見つめる
夜が更けるほど
星は明るさの中に消え
僕は闇の中に消える
こんなふうに
仲の良いキミ一人僕一人
どこで何になって
また会おうか

* Links


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