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成長 〜若さの喪失の獲得〜

区切りの良い数字で自分の人生を区切ってみていくと、いったい何があるだろう。僕に特筆すべき重要なポイントが、いったいいくつみつかるだろうかわからない。

20歳で、一応日本人は成人とみなされる。これも、法律が変わって、ちかぢか18歳になるんでしたっけ?(検索したら2022年4月から施行とする旨が出てきたが、正しいだろうか?) 僕は、20歳になったときより、21歳になったときの方が、なんとなく気分が良かったと記憶している。

20歳になるその年には、なにか「気負い」があった。自分もついに大人になった、子供ではなくなった、というその最中の年であり、心がフワフワと落ち着かなかったように思う。

これが、21歳になってみるとどうなったか。〈あっという間に「節目の年」は過ぎてしまった。なあんだ、こんなもんか。それでいて、「僕」は限りなく、若い。というのは、20歳を過ぎたなかで、一番若いのが21歳である、という理屈によるものだ。どうだ、僕にはフワフワと落ち着かない節目の年を過ぎた心の余裕があるのだけれど、それでいて最も若いのだ。なんて楽しい気分だろう。20歳だった俺よ、どうだ、見ているか?〉……なんていう気持ちだったように思う。

この現象が、30歳から31歳になるときにも起こることを多少期待していたのだけれど、実際にそのときを迎えても、これといった感慨はなかった。やはり、成人というものに宿った社会的な意味合いは、大きい。少なくとも、小さくはない。

30歳から31歳になったときに僕が得たものといえば、単に人生の30分の1程度に相当する若さの喪失だった。「喪失」を「得た」なんて、なんてヘタクソなんだろうと我ながら思う。これが加齢というものだろう。若かりし僕よ、夢も希望も、早いところ捨てるが良いだろう……さびしささえも受け入れられてしまうことも、成長のうちに入れてあげたい32歳である。

まだまだペーペーです。読んでくださり、ありがとうございます。

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