見出し画像

世迷いごとのオープンソース

サイン会というものがある。僕は一度も参加したことがない。アイドルとか本の著者とかが、販売促進を目的におこなうものだろう。お客さんは、そのアイドルなり著者なりを独り占めできる一瞬のために、長い時間列に並んで待ち続けたりする。なかなかにご苦労なことだと思う。

この一対一形式をやめて、複数でシェアできる形を導入すると、新たな楽しみが生まれるものがないか、考えてみる。

個別対応形式と聞くとまず、お役所だとか銀行だとかが思い浮かぶ。ひとりの楽しみだったものを「開いて」みんなの価値にするなら、もっとなんか楽しくて、お客さんが積極的なやつがいいだろう。

結婚相談所とかどうだろう。紹介される人がその場にいてもいい。男女入り混じって競争入札。自分以外の同性が話題になっているときは、その同性に対する異性たちの反応をみることができる。異性たちの異性観を参考に、相手を選んだり自分の異性観をかえりみることができる。……って、これは集団お見合いとか合コンとなんら変わりがない。すでにある。

多対多だとただの合コンになってしまう。
一対多だとどうだろう。紹介される人ひとりに対して、異性多数。

たくさんの同性と一緒にひとりの異性についてああだこうだ言うとする。もしなにか気に入らないことがあると、ツイッターの炎上みたいになりかねないのでは。これではまるで公開処刑だ。叩かれた人は2度と立ち直れないかもしれない。紹介される1人は、その場にいない形が良さそうだ。というか、傷つく覚悟なしにはモニタリングすらできないおそれがある。多くの人に好まれそうな条件を持った人だったらどうだろう。賛辞に次ぐ賛辞、人気が集中。多数の人が立候補。収集がつかないかもしれない。

よくわからないがとにかく、多数同時参加方式の結婚相談所はボツの臭いがプンプンする。ほかに何かないだろうか。

「独り占め」することにさも価値がありそうに思われてることをシェアすると、新しくてより大きな楽しみがあるかもしれない、という仮説がこの話の前提にあるように思う。

「独り占め」スタイルが定番フォーマット化していることってなんだろう。「ひとり焼肉」はもともと「多」だったものを「個」に持ち込んだ、逆の発想によるものだ。「ひとりカラオケ」なんかも同様で、「多」が「個」に持ち込まれたものは近年けっこうあるかもしれない。

オープンソースというのがある。内訳や詳細、過程を公開、共有するものづくり。秘密を独占するのではなく共有することで、その業界や分野全体の発展が望める。

「占い」はどうだろう。なんか結婚相談所と似た臭いを感じなくもない。その人のみにあてはまることを複数で共有しても、普遍性はないかもしれない。占いがオープンソースで、どうしてそういう結論に至るのか、ひとつひとつ根拠を持ち出して明らかに語られるようだったら、多数で聞いたり参加しあったりしてもおもしろいかもしれない。

もうないか。

「静かなリゾート」とかか?

これはそもそもみんなで楽しんだら成立しなくなる。ひとりで静かに過ごすための手段として、静かなリゾート地への旅行を選んでいるのだから。

独り占めにこそ価値があると思い込まれていそうなことをひとりで探すのは、意外と難しい。

この作業自体こそ、みんなで話し合ったらおもしろいかもしれない。僕ひとりの思いつきでは、すぐに涸れて行き詰まってしまう。ひとりひとりの考えや知恵の蓄積の多様性、その共有にこそ大きな価値がありそうだ。それにあてはまりそうなものなら、扱うものはなんだって良いのだろう。つまりは「オープンソース」という発想に集約される。気付いている人はとっくにやっている。またしても、遅れをとった僕である。

自分ひとりの世迷いごとの過程でぼんやりと「オープンソース」を浮かび上がらせたという点については、多少評価してやりたい。甘いなあ……。甘いのは好きだが。食べ物の話である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?