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あいまいな幽霊の気まぐれ

「関係ない」はありえない

「関係ない」ということは、「関係ないという関係」を成立させてしまっている。だから、「関係ない」なんて、ありえないのだ。

これをお聞きになって、どう思われますか。僕は自分でこれを言っていて、「また青沼(僕です)が馬鹿言ってやがる」と思ってしまうくらい、こういった論理によく行き当たるのです。「悪いもの」の存在が「善いもの」の存在を成立させているとか、「北」が「南」を成立させているとか、「卑しさ」が「尊さ」を成立させているとか、「おいしい」が「まずい」を成立させているとか、「美」が「醜」を成立させているとか、「貧」が「富」を成立させているとか、……とか、……とか、……とか、もう延々といくらでも挙げられてしまいます。

ひとつの基準を設けて照らし合わせたときに、その対象となるものがどうなのか、「どっち寄り」なのかといった「極性」に当てはめることで生まれる概念が、この世の中にはたくさんあるのかなと思います。というかそもそも、「ことば」ってすべてがそうなんじゃないかなとさえ思います。だから、「あなた」を定義したときに「わたし」が成立します。でもそうすると、「わたし」を定義しないことには「あなた」も定義できなさそうに思えますが、では「わたし」か「あなた」を最初に定義するにはどうしたらよいのでしょうか? ……なんて思うと、そんな定義なくてもでっちあげればいいのさ、とも思いますし、それくらい「定義」なんてものは、あいまいで、幽霊みたいで、あるようでないようなものなのかななんて思います。

「わたし」と「あなた」を分けるものは、「定義」というそれはもう見えていそうで見えていないような、絶対的な壁があるようなないような、押したと思ったら引いていたというような、あいまいな幽霊による気まぐれみたいなものなので、「わたし」は気まぐれに「あなた」にもなりますし、その反対のことも常に起こりうるわけであります。

「なりますし」と「なりすまし」では、大違いですね。

悪ふざけが過ぎる? 駄文におつきあいくださり、ありがとうございました。

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