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GWの雑記帳

何かを見たり読んだりして、気になったキーワードや連想したことをリスティング。それらひとつひとつについて短い文を書いてみた。

・GWのこと
毎年「これをやるぞ!」と息巻いて突入するゴールデンウィークですが、「実際にやれること」というのはそう多くありません。今年僕がやれたことといえば、次の3つくらいでした。
①編曲と作譜
僕は音楽活動をしています。ゴールデンウィーク明けてすぐ本番があったので、そこで使うためのちょっとしたものを準備していました。
②焚き火でカレーづくり
やれたらいいなぁと思っていたら、やれました。キッチンではなくオープンエアーなので、手際よく調理できるようすべての食材、調味料、器具を持ち出して、かまどのそばに準備。夢中で火を焚きました。出来上がったものは美味しかったです。(煙たいフレーバーはご愛嬌)
③読書
これはゴールデンウィークでなくても、いつも隙をみてやっています。連休は隙だらけでしたので、主にアロマテラピー関連の本を読んでいました。「アロマ」の分野って、勝手にちょっと「スピリチュアル」「自己啓発的」といったイメージを抱いていたのですが、大間違いでした。とても科学的で、フィジカルで実学的な分野です。ハマりそうな予感。(すでに予感は、実感へ)

・「かきいれどき」について
僕が主な収入源ととしている仕事は、教育関連の分野です。この仕事に「かきいれどき」ってあるんだろうか。何か事業を企画して打つときが、それにあたるでしょうか。毎年おおむね決まった時期にチーム全体としておこなっているものもあります。僕は、年度のごちゃごちゃが落ち着いた頃に自分の「企画事業」をおこなうのが「恒例」になりつつあるので、僕個人の「かきいれどき」は1〜3月頃といえるのかもしれません。営利組織じゃないので、「かきいれている」つもりはないのですが。

・「おさない・かけない・しゃべらない」
非常時に望ましいとされる「お・か・し」。小学校で教えられた記憶があります。これは、平常時でも仕事が忙しい大人たちに応用できるかもしれません。要は、落ち着いて行動しなさいということですね。適度な「おしゃべり」は、チーム内の潤滑油になる気がします。

・周年行事
なにかと周年行事ってやったりしますよね。個人的には、20周年より21周年の方がもっと良いのではないかと思います。僕は、自分が21歳のとき、むやみに「今が最高だ!」と思っていました。理由は、「20歳を超えており、なおかつ最も若い」というものです。今こうして省みると、はなはだなんの理由にもなっていません。当時大学生でしたし、入学直後でもなく、進路に悩まされるほど「卒業」が切迫してもいないという時期でした。「21歳であること」自体に特別な意味はないということを考えると、何歳になったって「今が最高」と思える可能性は等しくある、ということになります。今、最高ですか?

・「デザイン」のこと
デザインって面白いな〜と思います。最近「デザインの基本」をテーマにした雑誌を読みました。ひとつのフォントを選んだり、写真のトリミングのしかたひとつにもいちいち理由があることがわかります。「デザイン」における考え方は、僕がこれまで取り組んできた「音楽」の分野においても、応用がきくでしょう。もちろん、「音楽」以外のあらゆる分野において、同様のことがいえそうです。「デザイン」する力、そして「編集」する力についても同様の可能性を感じています。

・マネジメントのこと
「マネジメント」する力も、「デザイン」や「編集」における能力に並んで、どんな分野においても重要なものと思えます。そして何より、僕自身に足りないものでしょう。「夏休みの宿題」なんかは、8月31日にやったならまだ良い方でした。歴代、いくつもの「宿題」をやらずに踏み倒した記憶があります。

・「アガッてから」が忙しい
亡くなってから有名になる画家や作曲家がいるようです。生きている間は、生きるのに忙しい。きっと、それで良かったのでしょう。

・忙しいほどに、食い、寝て、休め
ゴールデンウィークが明けて初日。1週間ぶんくらいの仕事を半日でこなしたような気がしました。集中して取り組めたように思います。「無駄な余白」というのは、無駄です。「効果的な余白」というのは、効果的です。重複した変な言い回しですが、何が言いたいかというと、休むべきときに休み、食べるべきときに食べ、眠るべきときに眠る。そうすることで、「余白」も活きるし、「本文」も活きるのではないかということです。

・ネットとリアル、どちらにも手を抜けない
どちらの世界にも、偏って生きているわけにいかない。そんなご時世な気がします。田舎の里山で、鍬で土を打って暮らしたい。そんな妄想に駆られるときがあります。例えば人口の集中する地域を離れて農業を営むにしても、ブランド化した作物をインターネットで売る…といったような「やりくり」は、どこへ行っても逃れられるものではないのかもしれません。ならば、好きなところで、好きなことをやればいい。遠く離れた地に想いを馳せるより、足元の土を耕せば良い。どこでも、楽園になるでしょう。

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