オカルトの処方
小学生くらいの頃は、実家でよくテレビを楽しく観た。幽霊や心霊現象、不可解な現象や謎の残る目撃証言、UFOや宇宙人なんかを扱った番組を観るのが好きだった。ほんとうにあるんだろうか? これは本当だろうか? という、謎を明かしたい気持ちがよりぼくを画面に引きつけていた。
そうした番組を結論まで視聴しても、ほとんどの場合、結論を教えてくれなかった。あなたがあると思えば、あるかもしれません……と実際にテロップなりナレーションなり出演者なりが締めくくったかどうかは別として、なんとなくそんなような読後感で逃げ去られ、また似たような放送があると観てしまう。そんなことを繰り返した。
大学生になってから、ぼくはミステリー小説を好きになった。ある特定の作家のものを中心に読むようになった。だから、厳密にはミステリー小説を好きになったというより、ただその作家のファンになっただけというのが的確かもしれない。
ミステリーものをじぶんが好きになったことが不思議だったけれど、それからもっとあと(最近)になって思い出したのは、そういえば小学生の頃も少年探偵が事件を解決する漫画を好きで、単行本を買っては読んでを繰り返していたということだった。じぶんのミステリー好きは、大学生のときに始まったのではなかったのかもしれないと気付いたのだ。
それでいま、さらに、オカルトものや心霊もののテレビに夢中になっていたことも思い出している。なんだ、ぼく、そういう、謎を明かしたい気持ちで引っ張られ続ける娯楽が大好きなんじゃないのと我ながらまじまじと思うのだ。
近年は、実用書みたいなものや新書、エッセイや雑誌をよく読んでいる。創作よりも、そうしたジャンルのものの方が量的に勝る。でも、たまに、というか、そのマイナー勢の方として、今でもすこし小説などを読む。創作を読んでいる間は、じぶんと社会のしがらみをその瞬間だけはうまいことスイッチオフにできる場合が多い。もちろんじぶんの思考はこの社会の賜物だし、完全にオフに出来ているかと言われればたじろいでしまう。オフではなくスリープ、いや、ウインドウを背面に追いやったくらいに過ぎないというのが的確なところだろう。
こうやってコンピュータを介した営みを比喩に出すところから、思考の際に接する道具の無機質さを思う。
ところで、ぼくは初めてじぶんで買ったマックのノートパソコンのトラックパッドを、じぶんの垂らした汗水の一滴でいとも簡単に壊してしまった。7年くらい前の話である。そのパソコンは、いまさらに深く壊れ、内臓ハードディスクを認識しなくなって、外付けのハードディスクを用いて音楽制作専用機として稼働させている。記憶喪失になったことで、動作が軽くなったのを実感している。起動やシステム終了が速くて、とても快適だ。
忘れることによって得られる軽やかさがある。心霊やオカルトや創作の鑑賞に夢中になっている時間の軽みには、そんなところと通ずるところがあるかもしれない。
お読みいただき、ありがとうございます。
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