フィーバー&ネンネー
省エネの結果、望ましいものを省いてしまっていやしないか。
「省エネ運動」なんて言い草があるけれど、運動なんてしてしまったら、省くどころか余計に消耗するのではないか。「省エネ運動」とは、そうした矛盾自体を楽しむ、ちょっとしたレジャーみたいなものなのかもしれない。
子どもには、とても省エネとは思えない動きが多い。多いどころか、基本的に「省く」とは反対の方向性を持っているようにさえ思える。「浪エネ」といったところだろうか。
浪費するからには、浪費するものがあるということだろう。どこにもそんなエネルギーはない! というところから始まったのが「省エネ運動」かもしれないが、子どもにはエネルギーがある。いったい大人はどれほどエネルギーに困っているというのだろう。
大人にないものが子どもにある、というのもおかしな話である。おなじ人間どうし、大人にないものは子どもにもない、というのが順当ではないか。子どもにはある(子どもが持っている)それが、大人にはない(大人は持っていない)という勘違いがそこにあるかもしれない。
夢中で興味にまかせて興奮し、疲れたらいつでも倒れて眠ってしまう。そんなことが許されたら……なんて考えるのが、その人が大人だという証拠だろう。子どもはそんなこと考えるまでもなくフィーバーし、限界を迎えて眠ってしまう。
経験の蓄積が「フィーバー&ネンネー」を阻むのだろうか。学習とは、省エネを狙える余地を見いだすことなのだろうか。だとしたら、学ぶということはツマランなぁと思ってしまう。何も学ばなくていいのに。
あたりまえのことを楽しめるかどうか。生きるうえで大事なことだ。
めしがうまい。眠るのがきもちいい。明日のそれが楽しみで、今日も楽しくそうしている。
そんなふうにありたいなぁ。なんて思うことは、学びの蓄積の賜物かもしれない。
学びは何も、省エネの余地を見いだすことなどではないということだ。
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