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未最適主義者の鈍感

僕が愛用しているヘッドフォンがあります。密閉型でごてっとした重めのものなのですが、イヤパッドの少し上のアームの部分が内側に折りたためるようになっていて、たたむといくぶん小さくなって見えます。僕はこれを滅多に持ち歩きませんが、持ち運びにも便利というわけです。妙にちんまりと収まっている感じが、かわいく思えます。ふだんは明るく元気にしているひとが、風邪をひいて首まですっぽりと布団の中に収まっているような、なんとも言えない愛らしさが漂います。

このヘッドフォンのちょっと嫌なところを挙げますと、着脱したり手に取ったり置いたりするときに、意図しないときにアームがかくんと折れることがあり、そのときに指をはさむと絶望的に痛い、というところです。これは、両手をつかって両方のイヤパッドを保持しながら慎重に着脱などの取り扱いをすれば全く問題ないのですが、僕の場合は楽器を片手に機器の録音や再生といった操作を頻繁におこない、両方のイヤパッドをしっかりと支えずにヘッドフォンの着脱をこころみがちなものですから、頻繁に手指をはさんでは「痛っ!」と野太い声を上げています。

ところで、羽根のない扇風機というのが何年も前に発売されました。僕は未購入ですが、電気屋さんで見かけたことがあります。どういう機構で風を送るのかよく知りませんが、羽根がなければ子どもが指を差し入れたりする心配がないだろうなと思います。また、羽根をまわす円状のデザインから解放されているところが斬新で、縦長のスッキリしたフォルムをしていて、部屋に置いても圧迫感が少なそうに思えます。新しいデザインによって、省スペースと安全性を実現しているようなのです。斬新すぎて僕は言葉も手も出せないでいるのですが、これを「カッコイイ!」と思われる方もいるかもしれません。

安全性や実用性を高めていったデザインが、ときにそのまま「カッコイイ」につながることがあるようです。これはいろんな分野についていえることかもしれません。音楽も、機械に演奏させる技術が登場し、いつでもヒューマンエラーのない、同じクオリティのパフォーマンスを繰り返せるようになりました。生身の人間は、涼しげな顔をしてステージでコンピュータを操っているか、そもそもステージになんて出て行かないで、家でお茶でも飲んでいれば良いのです。それが果たして「カッコイイ!」かどうかは僕にはわかりませんが、そう思う人もいることでしょう。

なぜだか皮肉っぽくなってしまいました。そんな意図はないつもりなのですが、本心が滲み出てしまっているのでしょうか……僕は、無駄なものとか危険なものとか、最適化されていないものを好むのかもしれません。自分のことを保守的な方だと思っていましたが、実はその評価は的確ではないかもしれません。単に「無駄」とか「危険」といったものに「鈍感」だというのが、僕の本当のところなのだと……自分に「鈍いところがある」というのは知っていたので、なぁんだ結局そうか、という感じです。

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