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I野家の劇的な日常

物語の被写体として、「家族」が描かれた作品は多いでしょう。「家族」とは、それだけ人間の「寄り集まり」として普遍的な単位といいますかカタチといいますか、関係性なのかもしれません。

ひょっとしたら日本で一番有名かもしれない架空の家族のうちのひとつが、「磯野家」でしょうか。この家には、妻、夫、長女、長男、次女、長女の夫、長女とその夫の間の息子、タマ(猫)という7人+1匹が同居しているようです。長女と長男の年齢はかなり離れているようで、長女を迎えたあとに長男を迎えるまでの間に、夫と妻の間にどんな意思決定の紆余曲折があったのか、どんな「ドラマ」があったのかが気になるところです。

長女の夫が妻側の家に住んでいることから、長男と次女は家庭の外からやってきた大人の男性(長女の夫)と一緒に暮らしていることになります。こんなところから、長男と次女はどんな気持ちで日々を過ごしているのか、想像を巡らせてしまうところです。

「核家族化」なんて言葉が頻繁に語られるようになる前は、磯野家のような家庭像はとても一般的だったのかもしれません。今では「核家族」なんて言葉自体が死語のようにさえ感じられます。自分で持ち出しておきながら、久しぶりに接した単語だなぁと思いました。

この家にいるもうひとつの家庭外からやってきた存在は、タマ(猫)ということになります。血の繋がりに関係なく、年の離れたものどうし、種族の違うものどうしが関係しあうところに「ドラマ」が生まれやすいのかもしれません。もちろん同年代間、同性・異性間にもドラマは生まれるでしょうけれど、「同世代」というのはひとつそれだけで「ある特殊な共通点」ともいえるのかもしれません。少なからず、私たちが義務教育の中で多数の同年代の寄り集まったコミュニティの中で育ったバックグラウンドを持っているからこそ、その「特殊性」の上に成り立つドラマに共感しやすいのかもしれません。

異質性、異個性のあいだに生まれるドラマにはそれだけ「普遍性」が包含されやすい……のかもしれません。

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