平らに響く
スタジオジブリのいくつかのアニメーション映画を観ていて、役者さんの演技に「棒読み」を感じることがあります。たぶん監督の宮崎さんか、あるいは別のディレクション担当の方がそのようにさせているのかなと思います。そうした演技から、僕は淡々とした印象を受けます。「しろうとくさい」と言い換えることも出来るかもしれません。僕はそれでいいと思っています。「くろうと」よりも「しろうと」のほうが、世の中には多いでしょう。淡々とした演技は、「くろうと」にとっては新鮮に感じられ、「しろうと」にとっては、その飾らない素朴さが「物語」と「観る人」を癒着させる媒介になるのかもしれない、と思います。「演技論」みたいなものを語るような専門性はなんにも持ち合わせていない僕ですから、はたはだテキトー言っているだけなのですが。
僕がまだ自分の肌にコミットできないままでいる世の中の表現物のひとつに、「ミュージカル」があります。あれは、淡々とせりふを発語して伝えても良いようなことでも、なんでもかんでも歌にしてしまっているように思えるのです。(そうじゃないかもしれませんが)歌じゃないパートのところの演技にしても、何かまるで歌うような発話・発語・発声をしているかのように感じられます。1本のミュージカル作品を最初から最後までちゃんと「鑑賞」した経験もろくにないですし、語る資格もない僕のただの偏見、勘違いかもしれませんが。(ミュージカルが好きな方、気を悪くされたらごめんなさい)もともと身振り手振りが大きい文化を持つ外国に由来する表現スタイルだから、そうなるのかもしれません。良くも悪くも、僕は自分がいかに日本人気質であるかを勝手に実感しています。
「歌」もいろいろで、口を大きく開けずにもそもそっとつぶやくように音声を発するようなものもあります。「話をする」ことの延長上にあるような歌い方とでもいいますか、いえ、むしろ延長どころか「同位」といえるかもしれません。すごく自然だし、歌詞が伝わりやすく感じられるものもあります。普段「話をする」ときにしている発語と、極力近い抑揚やニュアンスで音楽に乗せれば、そのようになるでしょう。日本人らしい表現だと勝手に評価しています。「フォークソング」というジャンルで語られるものの中にそうした表現物があるようにも思いますし、特別「フォークソング」なんてものに縛られることなく世の中の「表現」を見渡してみても、そういったものに出会うことができるでしょう。それは何も「音楽」の分野に限ったことではありません。そういえば僕は、「服」でも日常に沿うような過不足のないかたちをしたものを選ぶ傾向にあるような気がします。(要はジーパンにTシャツ)
「棒読み」…「平らな表現」ともとらえられるでしょうか。僕が音楽大学に在籍していた頃、「指揮法」の授業の中で、ある教員が「p(ピアノ)は『弱く』ではなく『平静に』ととらえるように」と言っていたことを思い出します。「平らであること」は、「弱い」のとは違う。コンサートホールのすみずみまで届く「p(ピアノ)」が、「弱い」わけがないのです。じゃあ、「強い」のかといったら、決してそうでもない。「平ら」は、「平ら」なのです。強い、弱いでは語れない軸なのでしょう。いや、違う軸ならば、どちらも同時に成立するのかもしれませんけれど。
いずれにしても、「平らに響く」。
これは、ある。
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