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雑記集

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雑草という名前の草はない。 雑記という名前の記事もない。
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2018年2月の記事一覧

ゼイタクな芝居

ゼイタクな芝居

お芝居って、ゼイタクだ。

ゼイタクっていうかリッチだ。

「豊か」というに近い。

舞台上のすべてが同時進行している。

どこに目をやっても、生きた時間がそこにある。

目のやりどころがいっぱいあるから、それだけ観る人によって個別の体験になるし、同じ人が観ても別の体験が無数にあることになる。

同じ公演内容でも、別の日に観たらまた、まったく違った体験になるだろう。

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命名

命名

「ハムスターの研究レポート」という漫画があった。

漫画も手伝ってか、ハムスターがブームだった時期があったようにも思う。

その漫画がきっかけになって、僕も昔ハムスターを飼っていた。

「とっとこハム太郎」なんて作品が出てくるよりも、ずっと前の話である。

初めて飼ったのは「ゴールデンハムスター」だった。「永吉」という名前をつけた。矢沢永吉は無関係だ。発音するときの心地と字の意味を

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もぐらの世間話

もぐらの世間話

知っていたけれど気にしなかったようなことでも、ちょっと違った目のつけどころからの紹介だったりすると、自分でも興味が持てるかもしれない、なんて思ったりもします。

世の中には、頻繁に話題にされることと、そうでないことがあります。

少し気になるのは、それらの間に格差のようなものが生まれやしないか、ということです。

誰も話題にしていないようなことを急に言いだしたら、変な目で見られやしない

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納得のコンパス

納得のコンパス

僕たちには、わからないことがたくさんあります。

まだ知らないこと、「未知」がたくさんあります。

現状を徹底的に分析することは、「今知っていること、知り得ること」を明確にすること、ともいえます。

そうすることで、何をもっと知ればいいのか、調査や情報収集の道筋が見えてきます。

道筋や方向性が見えてくれば、その筋の先輩だったり、その分野に明るい人を訪ねてヒントをもらったりすること

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チャンスだ!なまけもの

チャンスだ!なまけもの

力を抜くことが、力を入れるための伏線になるようです。というか、必須なのでしょう。

力を抜くにも、抜きっぱなしでは「入れる」も「抜く」もなくなってしまいます。

温泉とか行きたいなぁとか思うけれど、「死ぬ程考える」とか「がんばる」過程なしには、温泉はさほど極楽でもないのかもしれません。ひょっとすると、苦行にさえなりかねない。

「がんばりすぎない」「力を抜く」みたいなところが注目されが

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うつわと水(VS.同人誌後夜)

うつわと水(VS.同人誌後夜)

同人誌というのはいろいろある。

女の子をかわいく、きれいに、ときに艶かしく描いたような作品はたしかに多い。群れをなすかのように存在している。

けれど、やっぱりいろいろある。

じぶんがつくりたいものを、つくりたいようにつくったもの。

それが同人誌である。

だれのためにでもなく、自分のため。

近くに喜んでくれるような人がいる場合は、その人も含めて「自分」かもしれない

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VS.同人誌前夜

VS.同人誌前夜

同人誌という世界があるらしい。

あんまり僕はよく知らない世界なのだけれど、最近いろいろ調べたり読んだりするなかで、行き当たったキーワードのひとつである。

同人誌と聞くと、二次創作を指し示すイメージが強かった。

どうもその限りでもないらしい。

個人(あるいは集団)が自主的につくったようなものを広く同人誌と呼ぶ。かなり自由だし、幅の広いもののようだ。

僕自身も、音楽CDの

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シマリスの冬眠

シマリスの冬眠

なんでもかんでも整理整頓、つねに取捨選択をして有効なスペースを広く保つ。

「断捨離」という言葉がもてはやされた時期がありましたね。

僕はどちらかというと、この方針と少し距離を置いたスタンスでいます。

どこになにがあるかだいたい把握しているし、頻繁に動き回るスペースさえすっきりしていれば、なんでもかんでも処分する必要はないと思っています。

むしろ、忘れずにいられる、というか一

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3時のおやつ宣言

3時のおやつ宣言

最近「おやつ」に注目しています。

3時に食べるアレです。

いまさらかとお思いですか。

僕はつい自分をいじめ抜くような、禁欲的な自己調整のしかたに傾くことがいままで多かったのですが、そのことへのカウンターカルチャー(?)として最近取り組んでいるのが「3時のおやつ」です。

僕の日中の仕事は、たいてい17時に終業します。それから急いで帰って、楽器や歌の練習やらレコーディングを始め

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