『兵器市場:国際疑獄の構造 上』アンソニ・サンプソン著、TBSブリタニカ1977
日本語版に寄せて
私は兵器の国際取引きについて調べ始めたころ、日本がこの問題について、きわめて重要な光を当てられることに気づいた。それは二つの大きな理由による。
きわめて明白なことだが、第1に日本は軍事、民間計画を含め、ロッキード事件が最も目立ち、広範囲にわたった国だということである。東京における贈賄行為の暴露によって、多国籍企業の工作がユニークにも観察された。それに続く日本の捜査と裁判によって、ロッキード社の活動について詳しい知識が得られた。この知識は、他のどの国で出てきたものよりも詳しい。実際、日本の検察は、ワシントンのそれよりも断固としていることが分かった
現代日本の今度の汚職事件は、私にとって特別の興味がある。というのは、六〇年前の同じように大きな歴史的事件と比較されるからである。それはイギリスのビッカース社が一九一○年、戦艦「金剛」の契約を取るため、日本海軍の藤井光五郎少将を買収した事件である。この事件によって山本内閣は総辞職したが、この事件はイギリスでも日本でも、一大スキャンダルとなった。というのも、国際兵器取引きは秘密の汚職行為によって助長され、培養されているのでないかという疑惑が生まれたからである。この疑惑は過去二年間に、もっと鮮明に生まれ、それが本書に繰り返し出てくるテーマになった。
しかし私が日本に興味を持つもっと重要な理由は、第二次世界大戦以後、日本が兵器輸出を抑制してきた国であり、それにもかかわらず経済繁栄を維持してきた国だということである。私が取材のため緊急に日本を訪ねたかったのは、この理由による。私は日本のこの兵器アレルギーの底に何が潜んでいるかということ、他の工業国による兵器輸出競争激化の中で、日本が果たして今後とも抑制を続けることができるかどうかを知りたいと思った。
一九七七年一月に訪日する前、私はイギリスの兵器見本市船「ライネス号」が極東に向けて出発しようとしたが、東京入港を拒否されたというニュースを知った。これがイギリスと日本の対照的な違いを象徴している。私は好奇心をそそられた。
私の日本訪問はむだでなかった。事実、日本訪問によって、私の調査中、最もエキサイティングな部分が形成され、本書の最後の二章に見られるように、兵器販売問題に関する私の見通しも変わった。私は広島の平和記念資料館を訪れ、兵器に対する日本人のアレルギーの根元を発見した。また私は首相、外相をはじめ、政治家、工業家、外交官と話し、日本の兵器輸出抑制の問題と、統制緩和への圧力についてもっと知ることができた。
私は、日本が一九七三年以来、中東からの石油入手についてどんなに心配し、欧米における石油輸入と兵器輸出の結びつきの増大をさらに心配していることも認識した。そして、ここから兵器輸出問題の核心を示す皮肉な情勢が生まれたのだと思う。
日本は石油輸入の見返りとして中東に兵器を輸出することを拒否し、その代わり貿易収支のバランスをとるため、自動車、エレクトロニクスその他の平和的商品の輸出を増やした。すると日本は市場を拡大していると、ヨーロッパとアメリカから強く批判された。自分たちは兵器を売り込んで、石油代金をかせいでいる国によってである。
日本の友人が私に「もし日本が平和的商品の代わりに兵器を輸出したとしても、だれも反対しないだろう」と、いささか辛らつに語ったが、これも驚くに当たらない。
これが、失業と生産過剰が増え、不況と危機の時期にある資本主義世界が直面する根本的問題である。職と輸出を与える最も容易な手段が、結果的に資本主義制度の全体的安定性を破壊しかねない兵器によるものとなっているのである。これまで日本が兵器輸出への圧力に抵抗してきた事実によって、日本は外交においてきわめて特別の機会と役割を持てる、と私は思う。いうまでもなく日本は、アメリカの核の傘に守られている有利な立場にあり、ヨーロッパやアメリカのように大規模な兵器産業を国内に持っていないことは事実だが、これによって日本が、開発途上国への無制限な兵器輸出の危険性について公然と警告することを妨げられるものではない。
私は本書の初めの各章で、過去一〇〇年間、ヨーロッパとアメリカにおいて、だれが、いかに自国の経済的生存と成長のために、兵器産業に依存してきたかを追求した。この依存性は今やさらに大きくなっているが、それがもたらす危険性については、あとの各章で明らかにした。
しかし現代日本の場合は、先進工業国間でもユニークである。日本が世界におけるこの特別の役割を維持、追求するうえで、本書が励ましになることを希望したい。
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