次元を意識する

自分はどうやら話してる中で、考えてる中で、次元をいったりきたりしてる。
次元とはなにか?それは座標軸が何個あるか?ということ。
普通人間は4次元空間のことは繊細にはイメージできない。ようは4座標軸で物を捉えるということだ。
から3次元の中でできるイメージで想像する。

ビジネスの世界ではすぐに二項対立を用いるように、多分2次元の座標の中で起きてることを、観測者として、俯瞰したもう1次元上の立場から眺めるということで理解してるのだと思う。これが3次元で理解しているということだ。
だから、わかりやすい図も、プレゼンも、どんなフレームワークも2次元に落としてる。

あと多分客観視といえど、立体的にみてないはず。
2次元空間の2点と、3次元空間の1点(観測者である自分)を通る、一つの平面上に自身も含めて存在してるんじゃないか。
自身もそんな特殊解の平面上に存在するから、途中で座標軸を変えることができない。それは別世界のことに感じられるからだ。

人間の頭の中で、3次元以上のものを扱う時にはどう頭の中で処理する必要があるか。
それは座標軸というより、対象間の距離で扱うことだ。
だから異なる座標軸のものをいったりきたり、同時に並列に扱えるのはあくまで距離でそれぞれを見てるかつ、それぞれの事象の距離を同時にイメージしてるからだ。

そうすると、客観視といっても、対象物間の距離を見るだけだから、どこか特定の座標軸に自身を置くことはない。

だから辻褄が合わないとか、これは一致するとか、全部相関関係でみてる。

自身の頭の中はそんな風になってるけど、そんなんじゃ誰にも伝わらない。
あと多分その相関関係、距離の計算で使ってる次元数も大したことない。多分たかだか6次元くらいなんじゃないか。

から、そもそも自身も考える上で、次元を絞り、真理から情報量を大幅に削減してることに自覚的になること。
あと、次元を意識して、どの座標軸で語るのかということをちゃんと決めて、常に座標軸の中で比較、固定、そこを全体として改めて座標軸を展開、という全体/部分のフラクタルで全体から部分に、という方向性で落とし込んでいくことがこの世のコミュニケーションとしては必要なのだと思う。


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