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サイダー記念日

初めて炭酸を飲んだ日は、
私が初めて勝利を手にした日だ。

保育園の帰り道、必ず自販機の横を通った。
家の目の前にある、あの赤いやつ。その自販機の前で私は立ち止まる。
そして決まって母におねだりをした。
500㎖のサイダーのカンカンを見つめながら
「あれのみたいなぁ、、かって?」
母は決まってダメと言った。
「カンカンは飲みきれないでしょ」
これもお決まりのセリフだ。


けれどあの日、いつもは何も言わない兄たちが
私と同じようにサイダーをねだった。
だから決戦の時がきたと私は本気で思った。

この決戦には2つの意味がある。
一つはもちろんサイダーを買ってもらうこと。
そしてもう一つは、兄たちにどうにかして勝つこと。

兄弟の間では当時、「戦いごっこ」という遊びが流行っていた。
皆がこの遊びに夢中で、よく話題に挙がったりもしたから、私にとっては戦いごっこ、というのは憧れだった。それに、この遊びなら何度でも兄たちと勝負できて勝てるチャンスがあると思っていたから、なんとしても一緒に遊びたかった。だけど私は参加できない。理由は単純明快で、負けるとすぐに泣いてしまうからだ。

私は一番上の兄と10も歳が離れているし、一番歳の近い姉でも年上であることに変わりはない。だからまあ、一番幼い私が兄や姉たちと勝負して、まず勝てるはずがない。そしてどんな相手でも勝ちたい性分な私が負けて泣かないはずがない。悔しくて毎回大泣きした。だから、戦いごっこには参加させてもらえなかったのだ。

負けるとわかっていても、私は勝負するのが好きだった。だって5人兄弟の末っ子で、歳も身長も負けてばかりだから、兄たちに何かしら勝ちたかった。だけど勝つためには、勝負できないと意味がない。

だから戦いごっこを一緒に遊べないのは悲しかったし、あの日、兄たちがサイダーをねだった時は嬉しかった。母はいいよって言おうとしていたからすぐに言った。「おにぃちゃんたちがいいなら、わたしものんでいい?」

もちろん、1本全部独占するつもりだ。
そしてこの「兄たち」という敵に勝つのだ。

母がダメよ、と言う前に「じゃあ、今日俺よりも先に飲みきれたら俺が許してやるよ」と言ってきた。二番目の兄だったと思う。兄は、私には無理だと考えているのだろう。普通はそうだ。そもそも炭酸を飲んだこともないのだから。けど私はひとり勝ったなと思っていた。そのときだけは、サイダー飲みたさよりも勝てると思ったのを、かなり鮮明に覚えている。

待ち望んた瞬間はすんなり訪れ、母は仕方ない、の文字を顔に貼り付けてサイダーを買ってくれた。なんだか悔しいけど、とてつもなく幸せだった。


プシュっと缶が開いた。
シュワシュワ弾ける音は耳障りが良く、程よい痛みが喉を通って、最後に甘い香りが舌に残る。何度でも味わいたい感覚に酔いしれるように、ごくごくと喉を鳴らしながら飲んで、私はあっという間にサイダーを飲み干した。

「あ〜美味しかった!」そう思った。口にしたのは「やったぁわたしのかちぃ!」などと負けん気の強い言葉だったらしいが。とにかく、すっきりとしたあの味が、私は大好きになった。

家族は私が全部飲み切ると思っていなくて、大変驚いたそうだ。すごい、と褒められて当時は物凄く嬉しかったが、今思えば両親の顔は大分引きつっていたような気もする。

勝った。同時にサイダーの美味さを知った。
あの日、自販機の前で私は二重の幸せをつかみ取ることができた。


そして現在、あの出来事からちょうど10年くらい経っているはずだ。なんとも奇跡的なタイミングで、自分がこの記事を書いていることに運命のようなものを感じる。10年経った今も変わらず、私はあのサイダーの味が好きだ。違うとすれば炭酸水も美味しく飲めるようになったことと、缶ではなくペットボトルに入ったサイダーの色を見るのが好きになったことだろうか。

そして、そして大変急で申し訳無いが、
強炭酸の気泡と同じくらい突然浮かんできた言葉を、書かせてほしい。

そうだ。今日を、私にとってのサイダー記念日にしよう。初めて炭酸を飲んだ日の日付はきちんと覚えていないから、8月2日がサイダー記念日である。

あの時の炭酸がシュワシュワ弾ける音を想像して、
私はなんだか、今無性にサイダーが飲みたくなった。


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