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5,最初の授業

部屋ではひたすら授業のことを考えていた。

高校で言わば第二外国語のような形で日本語を教えることになる。週に4時間だけでは2年教えてもとても話せるようにはならないだろう。では、何のために日本語を教えるのか?到達目標は?どんなやり方で???。

日本にいるときアルバイトで一年ほど日本語を教えていたが、1クラス10~20名、日本の大学に入るという明確な目的があったので教えやすかった。

ここでは、いくら考えても授業のイメージが沸いてこない。それに加え、モンゴル族といえば騎馬民族でチンギスハンの末裔、豪快で荒々しいというイメージを持っていた。しかも相手はいたずら盛りの高校生。小柄で童顔のボクがはたして教師としてやっていけるのか。考えているうちにだんだん不安になってくる。「日本語教師、生徒にいじめられて帰国」といった新聞の見出しが何度も頭の中をよぎった。

こうして時間は刻一刻と過ぎていき、いよいよ最初の授業の日。前の晩はほとんど眠れなかった。

10時10分、授業開始のベルが鳴った。まず51組の授業。ボクの部屋のはす向かいが51組の教室。部屋から出て4歩半で教室に着いてしまった。

何も考える暇はない。極限の緊張状態の中で教室へ入った。50人の生徒がいっせいに立ち上がる。そして突っ立ったままこっちを見ている。日本だとクラス委員が「起立・礼・着席」号令をかけるが、こっちの生徒は教師が指示するまではひたすら立っている。しばらく中国語でなんと言ったらいいか考えたが、出てこないので何とかジェスチャーで座らせた。

まずは自己紹介から。自分の名前を板書したうえで、中国語で「私の名前は・・・。日本から来ました。・・・」前の日一晩中考えて何回も練習した中国語での自己紹介だったが、100個の目玉の刺すような視線をいっせいに浴び、声がうわずって今にも裏返りそうな状態。

みんなうなずきもせず、じっとこちらを見つめている。彼らは果たして僕のことをどう思っているのか、そもそもボクの中国語は通じているのだろうか。じわっと額から汗がにじみ出てきた。

そしてしゃべりながら、自分が今、デイバックを背負っていることに気づいた。緊張のあまり教材の入ったデイバックを下すことなく話を始めてしまったようだ。これが日本人の習慣だと思われたら大変だ。額から汗がこぼれ、しどろもどろ状態で用意していた内容の半分も言えないまま、早々に自己紹介を切り上げるしかなかった。

こういうときはさっさと相手に下駄を預けてしまえとばかりに用意しておいた紙を配ってアンケートを行った。これは生徒の名簿がなかったので、まず生徒の名前を確認し、ついでに生徒の家族構成や趣味、日本について知っていること、日本語の学習動機を明らかにしようという狙いがあった。

黒板に中国語で質問事項を書き、配った用紙に答えを書いてもらった。みんな真剣にアンケートに答えている様子を見て少し安心した。生徒たちの一人ひとりの顔をじっくり眺める余裕も出てきた。男女比は大体3対2といったところ。よく見てみると幼い顔立ちの生徒が多い。中学1年生かと思えるほどの生徒もちらほら。荒々しい高校生をイメージしていただけにこれまた少し安心した。

アンケートを回収して授業は終了するはずだった。だが自己紹介が早く終わった(終わってないが・・・)ために、まだ20分ほど時間がある。なんかしてやり過ごさなければ・・・。

普通「直接法」で教える場合「わたしは~です。」とか「これは~です。」という基本構文から入るが、教案もないし、アドリブでやりこなす自信もない。

とりあえず模造紙にマジックで書いた「五十音図」を丸めたものを持っていたのでこれを使うしかない。

「五十音図」を黒板に貼ろうと思ったが黒板が石?でできているので磁石が使えない。こういうこともあろうかとセロテープを持っていたのでそれで貼り付けた。

本当は「これは日本の文字で・・・、日本の文字はひらがな・カタカナ・漢字があって・・・。」など説明しないしなければならない。

しかし自己紹介で中国語はすっかり自信がなくなっていたので、何の説明もせず、「あ」のところをボールペンの先で指しながら、「あ」と言ってみた。

すると50人がいっせいに「あー」と大きな声で言ってくれた。しばらく教室に余韻が残る。

すばらしい!もう一度「あ」というと今度はもっと大きな声で「あーっ」と吠えるような声が返ってきた。

ボクも調子に乗って、テンポよく「あ」「い」「う」「え」「お」の発音を繰り返した。生徒たちの声が校舎中に響いていた。ゼロから日本語を教えるのはこんなに気持ちがいいものか、と感動しながら、しばらく繰り返した。

そろそろ個別に言わせてみようと一番前に座っていた女子を当ててみた。

するとその生徒はさっと立ち上がり、ぱっと口を開けたが声が出ない。口を開けたまま固まってしまった。

快調にテンポよく進んでいた授業がそこでぴたっと止まった。その生徒の顔は見る見る真っ赤になって今にも泣き出しそう。

あわてて座らせて、そこで終了のベル、45分の授業が終わった。

ものすごく長く感じた45分間。

「素朴でまじめで、はにかみ屋」ボクのモンゴル族の生徒に対する印象が180度変わった授業となった。

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(教室の様子)

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