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劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト

劇場で見た。
この映画は絶対に劇場で見るべきと色々な人が言っていて、ちょうどリバイバル上映が行われると言うので、良い機会と思い劇場に足を運んだ。あと劇場のシートに腰を据えるまでに、アニメ12話と再生産総集編のロンドロンドロンドだけは見た。実写の舞台の方は見られていない。

何から言えばいいだろうか。まずは凄い映画だったなぁと言うことだろうか。また、この映画は劇場で見るべきと言う意見の正しさもよくわかった。映画館の音響で、ドデカスクリーンで見ることも十分に魅力なのだがもう一つ、流れる映像から音から逃げることのできない劇場と言う場で、そんな映画を見ることしか許されていない環境でこの映画を見ることができたのもまた、この映画を劇場で見ることの大きな魅力であるな、と思った。
わざわざ映画館に足を運ぶことのメリットとして挙げられがちなその没入感の良さを最大限味わえる映画がこの映画だな、という感じ。わかるだろうか。

全体的にこの作品はストーリーを追おうとすると作品のスピード感についていけなくなってしまう印象があるが、この映画は特にそれが顕著だった。けれど、ストーリーはよくわかっていないがとにかくすごい映画だった、と言うことだけは確かなのだ。

主に描かれていたのは学年が上がって卒業と言う終わりが見えてきた99期生の物語なのだろう。色々含みのありそうなセリフやシーンはいくらでも見られたが、結局この映画で終始言われていたのは『卒業してみんなと離れ離れになるのが寂しいよ』なのかなとは思った。
序盤の大場ななの暴走に、自主退学の事実は変わらず華恋ちゃんの前から姿を消したひかりちゃん。序盤ひたすら続く重い展開には、もしかして自分がああよかったハッピーエンドだと思っていた12話のアニメの尺では、本当は何も解決していなかったのではないか?と思わざるを得なかった。
かけがえのない友人の存在もあって再演から抜け出せたばななが流した涙にああよかったねと思っていたあの頃の自分が、12話のアニメを見終えてやっぱり幼馴染は最高だねと思っていたあの頃の自分は、なにもわかっていなかったのかと。
全く気付いていなかった作品の空白を無理矢理頭に叩き込まれるような不思議な衝撃から映画は幕を開けた。

まずばななの暴走の真意がイマイチよくわからなかったんだよな。やはり卒業と言う具体的な終わりが近づいたことによる焦りからの行動だったのか、逆にオーディションに参加せず以前のように舞台の上でやり合う熱量を失った仲間たちへの失望ゆえの行動だったのか。
その前の地下鉄内の会話の描写で、今は勝てなくてもいつか勝てるようになると宣言していた純那ちゃんに怪訝な表情を浮かべてことから、最上級学年に上がって以前の闘争心を失っていた仲間への失望から、自分が直接手を下して正しく死を与えようとしていたのかも、というのがまず思ったことだった。
他にも。暴走するばななに対して純那ちゃんが呟いた、こんななな初めて……という言葉には明らかに後ろ向きなニュアンスが含まれていたように思う。再演を抜けて初めて味わうあれこれに前向きな感動を覚えていたばななの姿と対比して描かれていた、初めて見る友人の姿への恐怖心、というのは明確に、純那ちゃんが、彼女たちが停滞していることの表れであると思う。

それに加えてこの映画で語られている死が舞台少女としての熱量を失うことであるのは間違いないと思うのだが、しかしばなな以外の面々は卒業後の進路をしっかり考えている様子が描かれており、寧ろ進路をはっきりと決めていないのはばななの方だ。
そんな彼女が周りの面々に熱量がないと言ってしまうのは少々違和感が残る。

と、ここまで書いて思ったが、自分が立てた二つの仮説は両立し得るのではないか。
卒業への焦りと、停滞した仲間たちへの失望。
つまりはこの学園で残された時間が少ないのにもかかわらず、将来の進路と言う未来の話ばかりして今現在の学園生活に熱を持たない仲間たちへの失望、と言う形で、彼女の真意はそうして両立し得るのではないか。
過去ばかりに捉われていた自分と未来ばかりに捉われている仲間たちの姿が、過ぎゆく今を大切にしていないと言う意味で重なったが故の暴走だったのなら。彼女はとことん”今”を大切にする人なんだろう。第99回聖翔祭という”今”を大切に思い、”今”の中に友人たちを閉じ込めて、未来から、変化から友人たちを守ろうとしていた。そんな彼女がレヴューに敗北し、純那ちゃんに声をかけられていた9話。彼女の感情のトリガーになっていたのは、過去発され今日まで残ってきた偉人の言葉ではなく、”今”を生きる友人、星見純那の言葉だった。
そう思って大場ななと星見純那のレヴューを見てみる。
今はまだと自分に言い聞かせて不確かな未来を一点に眼差していた純那ちゃんの姿は、今を大切に思うばななの目にはひどく醜く映ったのだろう。そんな感じのことを名乗り口上の時にばなな自身が言ってたし。

同じ口上で言われていた君死に給うこと勿れと言うのは死なないでくれやという意味だったと記憶しているが、ここで言われているのはいつ訪れるかもわからない死を待つくらいなら私が今ここで手を下してやるわという意味だろうか。そこまで言った割には腹切り刀を足で促すだけに終わっていたのは、自分で友人に手を下す覚悟ができていなかったのか、最期くらいはかっこいい純那ちゃんであってねという彼女なりの希望なのか。

戦いの中で一度は膝を地面につけた純那ちゃんが再び立ち上がるトリガーは、最上級生となった今の第99代生徒会長である星見純那の名乗り口上だった。そこから発された殺してみせろよ大場なな、の気迫はすごかったな。息を飲んでしまった。
今この場で決着付けようじゃねえかと自分は訳したが、他の人はどう聞こえたのか、めちゃくちゃ興味がある。

自分の知らない友人の顔に狼狽えて、私の純那ちゃんはそんな奴じゃない、と思わず過去に捉われてしまったばななに、今この舞台に立つ私を全力でぶつけた純那ちゃんの勝利でレヴューは幕を閉じる。今だ、彼女たちはずっと今の話をしている。今すぎる。今でしょ。

思えば、遠い昔の光が広い宇宙を超え遥かな時間差で今の我々の目に届く星というモチーフに手を伸ばす星見純那の姿は、過去の偉人の残した言葉という古きを温めて今の自分の光とする、彼女の舞台への向き合い方に素晴らしくマッチしている気がする。過去と今の性質を同時に併せ持つことのできる星をモチーフに充てられたキャラとして彼女は本当に魅力的だ。
星見純那さん、めちゃめちゃ好きです。まず何より可愛い。

そういえば、映画が終わってエンドロールを迎え、その中で9人のその先が描かれていた。その中でばななはひかりちゃんのいるロンドンの王立演劇学園への入学を叶えていたが、そういえばロンドンにはグリニッジ天文台というものがあった。
ここを通る子午線はグリニッジ子午線と呼ばれ、世界の時間の基準となっている重要な役割を担っているわけだが、これも素晴らしく”今”の象徴と言えないだろうか。言えるね。うん、言える。

あとまひるちゃん怖かったなぁ。あそこのレヴューだけ他と毛色がかなり違っていたように思う。この怒涛のレヴューで描かれていたのは恐らく全て学生生活の清算なのだろう。それはアニメの範囲内であらかた済んでいたものと思っていたが、まだまだ清算すべきあれやこれやがいくつも残っていたらしい。
アタシ 再清算、ってコト!?
割と本気でそれくらいのダブルミーニングくらいしてきそうだからこの作品は計り知れない。

華恋ちゃんにあれだけ思われながら、事情があったにせよ華恋ちゃんの前から姿を消したひかりちゃんへの怒りをあそこまで全力で最高の恐怖と共にぶつけることができた爽快感はよっぽどのものだろう。
ひかりちゃんを送り出すまひるちゃんの姿には負けヒロインの文字がよぎって拭いきれなかったが、まひるちゃんが恐怖に打ち勝って舞台に立てた理由を自分で決めたから、と語っていたのがとても良かった。ずっと輝きを華恋ちゃんに委ねていた彼女が、自分の決意を抱えて自分を理由にして舞台に立てたんだと胸を張る姿はあまりに眩しい。
ひかりちゃんの首にかけたメダルから髪を外す描写が本当に美しくてなぁ。自分はまひるちゃんもかなり好きなので、怖くて美しくてそして可愛らしいあのレヴューは非常に好みだった。あの猫のキャラクターは何かモチーフがいるのか、この作品のオリジナルキャラクターなのか。あの猫のグッズがあったら際限なく購入してしまいそうで怖い。

そしてクライマックスの幼馴染対決だが、ここで繰り返し出てきたのがポジションゼロのあのバミリのマークだった。
このレヴューの間で何度あのマークを見たことか、あまりに強くあの形が頭に焼き付いてしまって、映画館を出て帰宅するまで、あ、あそこポジションゼロある。あそこにもあるじゃん。と何度思ったことか。内側にお下がりくださいでお馴染みの駅の黄色い線にも、点字ブロックの点を繋いでいったところにも、四角いタイルが並べられた中にも、ありとあらゆるところにポジションゼロを浮かべてしまって、正直日常生活に支障をきたしているといっても過言ではない。

ポジションゼロとは何なのか。レヴューの終わりの証であるため何かの終わりを示唆しているマークなのかなと思っていたけれど、それだけだとどうにも腹落ちしない感じがあった。
あのTのマークは舞台の中心を表すマークが元になっていて、ラストバトルでは数えきれないくらいたくさんのポジションゼロが、抱えきれないくらい大きな意味を持ったポジションゼロがいくつも見られた。
ひかりちゃんが華恋ちゃんの胸元に剣を突き刺したところから飛び出た大量のポジションゼロが、吹っ飛ばされた東京タワーの頂上が突き刺さったところに現れたクソデカポジションゼロが、華恋ちゃんの腹に傷として刻み込まれたポジションゼロが、ラストバトルはポジションゼロに溢れていた。

それはきっと終わりだけを示すマークではないのだろう。終わりと始まりの狭間の区切りを表すのがあのマークなのかなと、そんなことを思った。何人もの役者が舞台上を行き交い壮大な物語を繰り広げても、最後には主役がセンターに据えられたあのマークの元に存在を示すことで、舞台の状態をリセットするのと同じように。何かに区切りをつけて次の始まりへとリセットする役割があのマークに込められていたのなら。

刺された華恋ちゃんの胸から溢れ出た大量のポジションゼロは、二人の関係の区切りの表れだろうか。
ひかりちゃんのことを見ない、聞かない、調べないと自分に言い聞かせ、ひかりちゃんのことをずっと見ていたようで、小さいころ交わした約束を理由に正しく彼女を見つめることができていなかった華恋ちゃんの区切り。
彼女が、運命の舞台に立つまでひかりちゃんとの距離感を間違えてはいけないと自分に言い聞かせた回数と同じ分だけのポジションゼロがあの時噴出していたんじゃないかと、そう勝手に思っています。自分とひかりちゃんの関係を区切っていた彼女が心のうちに今日まで溜め込んできた数えきれないだけの区切りがあの一刀で噴き出していたのだ。

全てのライトは私を照らせ、私が一番我が儘だと高らかに宣言したひかりちゃんが、華恋ちゃんの目線というライトすら欲したが故のあの一刺しだったのなら。あまりに我が儘で、その姿はとても輝いていた。

そうして東京タワーが崩壊。吹っ飛んだ東京タワーのてっぺんが地面に突き刺さったそこには、クソデカポジションゼロが待ち構えていた。東京タワーは二人の約束の証だと認識しているので、あれに区切りがついたと言うのは二人が幼子の頃から約束を交わしてきた運命の舞台に区切りをつける意味があったのだろう。

最後の区切りは華恋ちゃんの胸元に、切り裂かれた衣装の傷として刻み込まれていた。そんな傷を抱えて世界で一番空っぽかもと語る華恋ちゃんの言葉から、スタァライトの舞台が彼女の中で終わりを迎えたことを知り、じゃあ探しに行きなさいよと返すひかりちゃんの言葉に、学園を離れた後も続く彼女の舞台人生の始まりを思い、そんな区切りがあの切り傷に込められていたのかなと、そう思った。
あの場で投げかけられていたトマトは劇中でも度々登場していたが、やはり舞台に上がる熱量の象徴なのだろうか。
そう思うとラストシーンのひかりちゃんの言葉にとてもマッチしているように思うし、九九組のみなさんが舞台に上がることを決意したシーンでもトマトがかじられていた。
最後にひかりちゃんと対峙した華恋ちゃんの後ろでトマトが爆ぜた時、華恋ちゃんは死んでいた。この映画は舞台に上がらず停滞することを死と呼んでいるため、この場面においてのトマトの扱われ方も演出として納得がいく。

ただキリンの体が野菜だけで作り上げられていたシーンでもトマトは出てくるのだけど、あの場面に他の野菜も出てきたのが少し不思議だった。あとからあれこれ考えてみたが、あれはもしかして観客の集合を表していたのではないか。
よく言われる、観客は畑に並ぶ野菜だと思え、という言葉を思い出しての仮説なのだが、もっと思い返してみればキリンは自身のことを舞台少女が舞台に上がるため必要な存在、と定義づけていた。観客がいなければ舞台は成立しないだろう。

京都の方の幼馴染コンビはアニメの時とそこまで変わらない内容でやり合っていたので、彼女たちを見ている間は妙に安心感があった。他の面々が複雑怪奇な思いをぶつけあっている中で彼女たちほど、異なった進路を選ぶことへの抵抗感を正面から語っている二人というのも逆に珍しいと思う。

真矢クロの実力者コンビが清算していたのは単純に勝負の決着だろうか。最後くらいはコイツを負かしてやりたいというのと、最後までコイツを負かしてやりたいと言うのがぶつかっていて、とても見ごたえのあるレヴューだった。あんた今までで一番可愛いわよ、という言葉がとても良かったし、それに対して私はずっと可愛いわと返すのがまた良い。

勝負に決着がついてようやく因縁を果たされた、それまで勝者側であった真矢さんが語った言葉があなたは美しい、なのがまた。オタクの大好きな対比ですよみなさん。
今までで一番可愛いわへ返すのがあなたは美しいになるのが実力者同士のやり取りとして素晴らしいよなぁと思います。

多分この映画を踏まえて何か言おうと思えば誇張でなく無限に近しいほどあれやこれやと言葉を挟めてしまうので、今は自分に書ける範囲で、この辺りで止めておくことにする。
しかし、公開されてから3年経っても未だに活発に誰かがこの映画の話をしている理由もよくわかってしまうほど、観客に委ねられた部分が非常に大きい作品だなと感じた。それでいて決してアニメや映画が描写不足というわけでもないからこの作品の深度は計り知れない。

アニメを見終えてこれ映画でなにやるんだろと思っていた頃の自分がもう既に懐かしい。振り返ってみても一週間も離れていないあの頃の自分をこんなに懐かしく思うのは、この作品から受け取ったものが多すぎたからだろう。

これだけ魅せられて、その世界に引き込まれた120分。
ここまで文字数を重ねて振り返ってみてもやっぱり、この劇場版で一番に感じたメッセージは、『卒業って寂しい~』だった。

離れ離れになってしまうのは寂しいし、見通しの利かない未来は怖い。けれどそんな未知への恐怖を選択して、先に進むことを決めた少女たちの物語を、自分はこの作品に見たのだ。
だからこそ、自分が映画館で観測した範囲のその先でも、今を生きる彼女たちの時間が健やかに流れていますようにと、ただ遠くから願っています。

いい映画を見た。本当に面白かったしスクリーンから目を離せなかった。スタァライト最高。






幼少期(5歳の頃)のひかりちゃん、ちょっと革命的な可愛さじゃないですか。見た目も何よりだが三森さんの声の演技が凄すぎる。ちょっと凄すぎていた。

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