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自分科って

ぼくのやっているイベントを

『自分科』(じぶんか)って呼んでいます。

今日はそんな自分科の話。

自分科ってもともと、
小学生が自分の事を好きになるにはどうしたらいいの
っていう問いからスタートしています。

子ども達の9割が「自分が嫌い」っていいます。
中には、泣きながら「もういゃだ」って。

どうしたら好きになるのかな?って。


だって好きじゃないと何をしても楽しくないんです。
うまくいかないんです。

せんせいとしてのぼくもしんどいんです。

でも、何かが出来るようになることが
自分を好きになることじゃなさそうです。

なぜなら出来ることがたくさんある子の方が苦しそうなんです。

そうやって試行錯誤しているうちに
その子の「あり方」に「それでいい」
って言ってあげることだと気づいたんです。


存在そのものを承認することなんだ、って。


そうすると、不思議なことにそれぞれの才能を発揮するんです。
そして場が調和するんです。


毎日ギスギスしていたクラスが、
自分の事を嫌いで人のことをねたみ、

人のせいにしていた子ども達が、

誰かをかばったり、勇気を出して行動したり
そんな奇跡をたくさん見せてくれたんです。

だから、大人だろうが子どもだろうが
自分科に参加された方には
「そのやり方でそれでいい」
とお伝えし続けているんです。

本人はそんな自分を許せないかもしれない。
でも、ぼくは思うんです。
「それでいい」って。


でも、さすがに間違った計算の答えに
「それでいい」は言えません。
言ってもウソになる。

表現したこと、
そのプロセス、
そこに関わる姿勢、
そういったものに
「それでいい」
を言い続けたんです。

だから、クラスで
「それでいい」っていいやすいことをしたんです。

答えの無い問題。
お話しの続き。
アドリブでやる劇。
などなど。

ときには、
大きな紙に落書きしたり
一時間踊っていたり

そうしたら、
その子らしさががんがんでてくるんです。

ぼくがどなって「これやれ、あれやれ」いうより簡単に
「それでいい」ってにこにこしてたら
「それでよく」なったんです(*^O^*)

その表現活動
全部ひっくるめて「自分科」と呼びました。


自分科が伝えたいことは2点


お母さんが子どもにしていることが本当のきょういくである。
お母さん(あるいはお母さん的な人)がしていることはつきつめると
「それでいい」と受け入れること。

「それでいい」いってたら
持ち前の「よさ」「らしさ」が発揮され
その場が調和してくる。

すべてがすべてに関わり、自分やまわりが楽しくなります。


そんな場が自分科なんです。


子どもの頃を思い出させるような、
自分の本来の姿を取り戻すようなそんな時間。


やっていることは、なんてことはないんだけれど(*^O^*)
何とも言えない不思議な時間です。


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