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リレー日記(2024年8月5日~8月11日)文・nszw

バナナ倶楽部のメンバー4人が、1週間ずつ交代で日記を投稿します。今週の担当はnszwです。

8/5

 僕はこの日記を、基本的には公開されることなく、したがってひとに読まれることもないかのようなていで書いているが、実際には日記は書いた翌日か翌々日にはまず同居人に読まれ、さらに一ヶ月に一度のペースでインターネットにアップされるので、読むひとは読んでいる。違う、読んでいただいている。インターネットというのも違う、いやインターネットではあるが、はてなブログだ。僕は自分の手で日記をはてなブログにアップしていて(もっといえば、こうやって四週間に一度はnoteにもアップされる)、それを読んでいるひとがいることを知ったうえで書いている。それはこの日記の特性のひとつになっているといっていいと思う。
 先月、僕のブログを見てくださっている方から連絡があって、今日はその方と通話した。初めてのひとと通話するのは緊張するが、気負いすぎることなく臨もうと思いつつ、約束の二十一時の何分前にグーグルミートに繋げるべきか迷って、けっきょく二十時五十九分に入った。日記、ブログ、生活のなかで文章を書くこと、好きな文章、好きなブログ、何に影響を受けて日記を書いているか、ブログのスタイル、はてなブログの購読機能など様々なことを話して、すごく充実した一時間を過ごせた。僕も「毎日のあれこれについて言葉を尽くすことは大切ですよね」みたいなめちゃめちゃ偉そうなことをいった気がする。しかし偉そうなことをいうのは身体にいい場合がある。身が引き締まる。
 同居人は今日も飲みに行っていた。疲れていそうだった。

8/6

 あと昨日はクレイロの"Juna"のミュージックビデオをYouTubeで見た。いいビデオだった。クレイロが自らの口トランペットを見せどころだと捉えていそうなこともよかった。YouTubeでいうと、スネイル・メイルによる"Tonight, Tonight"のカバーもアップされていて、それを聴いた流れで原曲も久しぶりに聴いた。僕は"Tonight, Tonight"を、信じられないほどいい曲だと思っている。スマッシング・パンプキンズはいまではほとんど聴かなくなってしまったが、たまに"Tonight, Tonight"のミュージックビデオをYouTubeで見て、その流れで"1979"のビデオも見ている。まあ"Today"も聴く。いまではほとんど聴くことも顧みることもない曲が、YouTubeでは思いがけず僕の前に再び現れる。それがおもしろい。

 今日は『地面師たち』を見た。トヨエツ演じるハリソン山中という男は作中のところどころで嗜虐性を見せるのだが、けっこう〝ぼくの考えたかっこいい悪役〟感もあって、ガワでやっている部分も大きいのではないかと思えておもろい。そういう目で見るとハリソン山中はけっこうおもろい言動が多い。ハリソン山中は感情を剥き出しにすることなく、誰にたいしても丁寧語で話す。ハリソン山中はウイスキーに詳しい。ハリソン山中の名刺は真っ白い紙の中央に電話番号のみが印刷されたシンプルなものだ。ハリソン山中のスマホの待ち受けは、弾痕なのかガラスの破片なのかわからないが、暗くてかっこいい感じの模様になっている。ハリソン山中は『ダイ・ハード』でアラン・リックマンが演じていた悪役ハンス・グルーバーの美学に憧れている。ハリソン山中がたくさん勉強して理想のハリソン山中像を作り上げたのだと思うと、どんどんおもろく思えてきてしまう。だいたい「ハリソン」ってどこから連れてきた名前なんだ。そんなことを考えているうちに、最後にショーンKのことを思い出した。

8/7

 僕が会社に行っているとき、ハリソン山中は何をしているのか。勝手な想像だが、ハリソン山中は意外とスマホを見ているし、なんならツイッターとかもやっているんじゃないだろうか。おすすめのほうのタイムラインをひととおり見てから、ハリソン山中は「ああ、いけない」とひとりごち、本棚から世界の名言集や歴史上の凶悪犯の伝記集を取り出してめくるだろう。ハリソン山中は座学で悪役を勉強している。こうなったらこうする、ここでこの名言をいう、そういう悪役の振る舞いをハリソン山中は何度も反復練習する。僕はその間も会社で真面目に仕事している。ハリソン山中も昼過ぎには少し眠たくなって、十五分ほど昼寝するだろうか。十五分のつもりが一時間寝てしまって、「ああ、いけない」とつぶやいて目をこするだろうか。ベッドで横になったままスマホをいじってしまって、やはり「ああ、いけない」と繰り返して身体を起こすだろうか。僕が仕事を終えて帰ろうとする頃、空には分厚い雲が立ち込め、雷が鳴り響き、雨がいよいよ勢いを増していた。ハリソン山中も気圧の変化で頭が痛くなったりしただろうか。僕と同居人が雨が弱まるのを待とうとちょっとおしゃれな店に入ってちょっとおしゃれな夕飯を食べ、その後けっきょく帰り際に土砂降りに見舞われたとき、ハリソン山中は暗い部屋で足を組んで座りながら、またスマホをいじっていただろうか。ひとりでウイスキーを開けて、気がつけば文字がたくさん流れるYouTubeばかり見てしまって、また「ああ、いけない」とつぶやいただろうか。
 今日は『地面師たち』を最後まで見た。ハリソン山中はあまりしゃべらずに隠れていればミステリアスな強敵の雰囲気が出ただろうに、出たがりでしゃべりたがりなゆえにちょっとおもろくなっていて、しかしこのドラマの楽しみ方としてはこれも正統な気がする。ハリソン山中だってほんとはあんなにしゃべりたくなかっただろう。ハリソン山中が憧れる悪役というのは、あんなにべらべらしゃべらないからだ。しかしドラマをおもしろくするために台詞を増やされてしまった。そういう意味ではハリソン山中も踊らされる側の人間だった。

8/8

 日記において僕は同居人のことを「同居人」と表記しているが、なにもその表記に固執する必要はない。たとえば苗字か名前の頭文字で呼ぶのでもいい。というかそれがかっこいい。かっこいい日記というのはたいていひとのことを頭文字で呼んでいる。しかし苗字と名前のどちらの頭文字がいいか。僕は名前のほうに親しんでいるが、同居人と僕は名前の頭文字が被るため名字でいってみよう、こんなふうに;今日の『虎に翼』を見て、Sは号泣しながら、「顔面が痛い」といっていた。Sはよく泣きながら「顔面が痛い」といっている。あるいは「心臓が痛い」といっている。泣いたときに顔面が引きつったり心臓がきゅっとなったりする感覚はたしかにわかる。そうだとすると、泣くという行為はけっこう身体に負担なのではないか。

8/9

 仕事のあと友だちと散歩した。同居人は友だちと野球を見に行って、そのままその友だちと帰ってきた。

8/10

 昨日の夜はほんとは僕と僕の友だちと同居人と同居人の友だちで、四人でカタンをやろうという予定だったのだが、同居人たちが疲れてしまったそうで中止となり、その代わりに僕と僕の友だちは散歩をした。カタンのキャッチコピーはなんだったか。「己の力で西部を開拓するロマン」だったか。違った。「資源で未来を開拓するロマン」だ。僕と僕の友だちは開拓された道を歩いていった。途中には驚安の殿堂ドン・キホーテも、首都高の高架も、天下一品もあった。資源で開拓されきった道だ。驚安の殿堂ドン・キホーテの店頭にあるアクアリウム、それが昨日は「メンテナンス中」になっていたその文字すらもドンキのフォントになっていて、世界観の徹底が素晴らしかった。けっこう歩いて疲れたので帰りはLUUPに乗った。やはり資源だ。
 いっぽうの同居人とその友だちは家で『ボーイフレンド』を見ていた。僕も帰宅後合流して見た。僕と同居人はついこの前見たので二回目になるのだが、同居人の友だちが見ていなかったために一緒に見ることにしたという。流しぎみに見ようと思ったが僕もなんだかんだしっかり見た。やはりテホン氏はいい。夜遅くまで見てから一度寝て、朝起きてから続きを見、外に朝ごはんを食べに行き、昼間は同居人のお母さんの母校が出るという甲子園の試合も見、夕方には昼寝し、夜には寿司の配達を頼んでまで『ボーイフレンド』を見進めて見終えた。友だちを駅まで送るついでに僕たちも五反田のTSUTAYAに行って『HUNTER×HUNTER』の漫画を途中まで借りて帰ってきた。いまはブレイキンを見ている。「身体のボキャブラリー」という表現がすごくいい。僕の身体のボキャブラリーはかなり少ない。

8/11

 あまり気温を調べようともしなくなってきている。もはや気温はない。連日の暑さだけがある。起き抜けのカラカラの喉があり、なんとなくの頭痛があり、よく乾く洗濯物がある。あとでまとめて洗おうと思って水を張っただけのコップたちがシンクに並んでいる。
 ベランダに出しっぱなしにしていたせいか、タオル類を干すための大きな洗濯ばさみが割れた。映画を観に行こうという気も起こらない。『HUNTER×HUNTER』を読み進めた。ヒソカというひとには、ハリソン山中とは違う本物の迫力がある。ヒソカがしゃべると語尾にスペードやハートなどのトランプのマークが付く。スペードやハートなどのトランプのマーク、と書いたのは、いま僕がトランプのマークの呼称をスペードとハートしか思い出せなかったからだ。連日の暑さのせいで僕の記憶の回路はたいへんおそまつなことになってしまっている。
 スペード、ハート、……
 ……
 ……ダイヤだ。あとは森みたいなやつだ。それは何という名前だったか思い出せない。
 とにかくヒソカはスペードや森みたいなやつを語尾に付けてしゃべる。しかしキャラクターを作り込もうとしたがゆえに語尾にマークを付けるようになったというよりは、自然発生的に、いつの間にか付いていたのではないかと思わせる迫力がヒソカにはある。座学で悪役を勉強してキャラクターを作り上げたであろうハリソン山中とは違う。しかしハリソン山中も勤勉なぶん、トランプの森みたいなやつすら思い出せない僕とは比較にならないくらいえらい。僕は『HUNTER×HUNTER』の、ヒソカの技の細かな説明のような部分もよくわからなくてほとんど飛ばし読みをしてしまった。

(……)ヒソカは念の基本技の一つ「絶」(オーラを消す・気配を断つ)を応用し限りなくオーラを見えにくい状態にしていたのだ‼
ただしこれには弱点がある! 同じく基本技の「練」(オーラをためる・増幅させる)を習得した者ならば眼にオーラを集中させ注意深く見れば見破ることが可能なのだ(もちろん生半可な集中力で成せることではないが)
もちろんカストロは「練」を習得している! だがヒソカは異常な手品でカストロの注意をそらしさらに自分が本気を出していないことをアピールし自身のオーラが少ないことが余裕からきているかのごとくカモフラージュまでしているのだ‼
悪魔の周到さで準備がうまくいっていることを確認したヒソカはトランプと同じ要領で左拳の先端から伸びたオーラをカストロのアゴにはりつける‼
準備完了‼

冨樫義博『HUNTER×HUNTER』7巻p.18

 こうして書き写してみてもやはり僕には難しかった。ハリソン山中だったらちゃんと腑に落ちるまで読み込んでいるだろう。
 夜はネットフリックスで『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』を観た。よかった。家族至上主義的なところが強いが、しんちゃんの映画を観てそんなことを指摘してもしょうがない。


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