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親を看取るということ

親を看取るってどういう感じなんだろう。
31歳でどれくらいの人が親を亡くしているかはわからないが、
私にまだその状況を想像する経験値はない。

こんなことを考えたのは、両親が体調を崩したからではなく、
先日図書館で借りた2冊の本にたまたま親を看取る描写があったからだ。
その2冊は著者も違うし、片方はエッセイで、片方は小説だった。

50代の女性たちが、自分の母親の介護をする内容は私にとって新鮮だった。
そのような家庭はたくさんあるだろうが、実際に目の当たりにしたことはほとんどない。
祖母の介護をしていた母の記憶があまりない。
祖母は骨盤を痛めてからホームに入っていた。自宅にいることは困難だった・・・ような気がする。そして認知症になってはいなかった。

親を看取った後、しばらくはものすごく落ち込むらしい。
そりゃあそうだ。でも私には想像できない。
想像しておいて、少しでも悲しみの準備をしたいのに。

そのあと、それを乗り越えた先に、いつも親が自分の胸の中にいるような気がするのだそうだ。
そんな感覚があるんだ、と初めて知った。

年を重ねていくにつれ、ぼんやりとしたイメージの中に自分が実際にもう入っていて、いつの間にか経験している。
24歳の私が、だれかと結婚して二人暮らしをしているところなんて全く想像していなかった。
二人暮らしがこんな感じ、ってことも知らなかった。
家に誰かがいること。朝起きたら隣に誰かがいること。
それが当たり前で、気にならないこと。

31歳の私は50代の自分なんかまったく想像できない。
仮に52歳としよう。
はて、子供は何人いるのかどこに住んでいてどんな仕事をしているのか見当もつかない。
今のところ、これをしていたいという仕事のイメージもあまりないが
文章がいつか仕事になればいいなと思って、今書いている。


これまでと同じようにいろんな感情を、想像してもいなかった感情を経験するんだろう。
意外といける、ということも、意外とつらい、ということも。

いつもつらい方に耐える準備をしているけど、
先人たちが耐えてきたのなら、あまり先走るのはやめておこう。


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