見出し画像

ビッグバンを待ち倦んで

青春は宇宙と似ていると私は思います。
年齢を重ねると共に膨張していく感情と身体は、どこかのタイミングで大爆発を起こし、これでもかというくらいに煌めく。そして今度は段々と収縮を始め、やがて死という名の無次元へと至る。
爆発するタイミングは人それぞれですが、多くは十代や二十代だと感じます。「若さ」という武器を惜しげもなくぶら下げ、振りかざせる時期です。

私は今年で二十五歳となり、いわゆる「アラサー」というものに突入します。三十代となってもきっと楽しい人生が待っている。そんなことは分かりきっていますし疑いもしませんが、それでも何となく二十代と三十代には明確な隔たりがあるような気がして(三十代の皆様、申し訳ありません)、何というか、良くも悪くも「若さ」で許されていたものが、三十代となった途端に断絶され、決して許されるものではなくなる気がしてならないのです。

私の性格上、そんなことを思う節が多々ありますから、二十代、ひいては「若さ」への執着みたいなものに日々追われているわけです。
私は二十代としてあと何度歩き、食べ、ときめき、笑い、泣き、出会い、別れ、愛し、眠りにつくことが出来るのか。二十代としてあと何度映画を観て、音楽を聴き、本を読み、筆を持ち、シャッターを切り、弦を爪弾くことが出来るのか。
そういった焦燥感のようなものに心身を支配され、常に緊張と高揚が入り混じった毎日を過ごしています。

私のそういった焦燥は、よく晴れた休日の朝に頂点を迎えます。
窓のカーテンから差し込む僅かな光、開けると広がるパーフェクトブルーを見て私は「外に出たい…出なきゃ…自分は外に出なければいけない人間なんだ…」と思い込み、自分自身に暗示をかけ、外へ飛び出します。傀儡のように、私は私に操られているわけです。
外へ出たはいいものの、特にやることもないので、大抵はカメラでゴミの写真を撮ったり、野良猫を追いかけたりしています。本当に何もすることがない時は、歩きながら通るバイクの数を数えたりしています。私が二十代のうちに、あと何度バイクは横を通り過ぎるのでしょうか。

話が逸れましたが、とにかく「若さ」というものは、それはそれは貴重で、人生を百年とするならばほんの僅かな時間しかそれは含まれません。勿論、ここで言っている若さというのは、心や行動の若さのことです。容姿をある程度若くすることなんて今は簡単に出来る時代です。
私が十代やそれよりも若い頃は、よくゲームをしたり絵を描いたりしていました。今でもしていないことはないですが、その頻度はめっぽう少なくなり、いつの間にかゲームコントローラーはスマホ、鉛筆はタバコへと変貌してしまいました。
心も行動も、私はそれほどもう若くはないみたいです。「気持ちは十五歳」と言い続けてもう十年経ってしまったんですから、当たり前です。


ふと考えます。
私の青春の爆発はいつ起こったのだろうか。

間違いなく言えるのは、今ではないということです。確実に、学生の頃よりも輝きは無くなっています。
かといって、学生の頃に爆発があったかと言えば、即答は出来ません。勿論、青春を感じていた時はありましたが、何というか、私が想像してた青春と経験した青春に差異がありました。もっと、『プロポーズ大作戦』のような青春を期待していましたが、そうはいきませんでした。

私の青春の爆発は昔でもない、今でもない、それじゃあ、残るのは?

そう、これからです。
私の爆発はこれから起こるのです。

思えば私は「若さ」をぶら下げてはいましたが、振りかざしてはいませんでした。ぶら下げていることに安堵し、まだ持っていられると思い込み、青春と呼ばれるものの八割を先延ばしにしてきました。当時の私はなんという愚かな子羊だったのでしょう。
最近になってようやく気付きました。
「あれ、私の二十代、あと五年?」と。
三十代までの残り少ない五年、私はぶら下げていたイチモツを振りかざすことは出来るのでしょうか。
それは私にも分かりません。ですが、不発のまま収縮していくことだけは避けたいのです。

「若さ」という輝きと、「青春」という煌めきは、似ているようで違います。
私は恐らく、これ以上輝くことはできません。
しかし、煌めくことはできます。
この五年で、私は爆発を起こします。心身が木端微塵になろうとも、その爆発が一瞬でも煌めきを起こすのであれば、私は構いません。

この文章もきっと、私の基準でいえば「二十代で許され、三十代では許されないもの」の一つに入るのでしょう。
三十代の私がこの文章を見たとき、笑えないものにはしたくないのです。
三十代の自分が平凡な人間でもいい。今現在、吐き出しているこの文章を面白おかしく笑っていたっていい。
この五年間のうちに、「青春」という爆発を起こしていてくれれば、その後はどうだっていいのです。

さて、あとはこれからの自分に託したいと思います。


ビッグバンを待ち焦がれて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?