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0.01mm 〜小学生編〜

人は誰しも「欲しい」と望んでも手に入れられなかったものってありますよね。
大金や名声を筆頭に、豪邸、ブロンドの恋人、食洗機 etc…
それらは、欲しいと心から願って努力しても中々到達できないことが多く、ほとんどが諦め、妥協できるポイントで満足して(した気になって)しまいます。

しかしながら、それらを手に入れている人達がいることも確固たる事実として存在しています。
私はそれを見ないふりしているわけではありませんが、どこか他人事のように感じてしまう時があります。
いえ、そう感じなければ私の心がもたないのです。

なぜなら、あと一歩で手が届かず、結果的に手に入れられなかったモノが山程あるからです。
私は欲しいモノをすべからく手に入れた人達を無意識的にシャットダウンしてしまう傾向があります。

本当にそれでよいのだろうか?

私はそれで、今後何かが手に入るのだろうか?
疑問に思いました。

ということで、今日は私があと少しのところで手に入れることが出来なかったモノ達を紹介し、今一度しっかりと向き合おうと思います。よろしくお願いします。

私が小学生の頃に欲しかったもの、それは『秘密基地』でした。

これは、特に男子であれば皆一度は思うのではないかと思います。浪漫が形質化されたものの代表的なポジションに身を固め続けているのが、秘密基地です。
当時の私は極めて一般的な健康優良少年だったため例に漏れず、私や友人達だけが知り、赴くことの出来る場所が欲しいと強く感じ、日々秘密基地になりそうな場所を探していました。
学校終わり、同じ町内の友人と毎日のようにぶらぶらと歩き、なびく風を受け、西日に照らされながら秘密基地を探す。
今思えばもうその経験だけでも価値があるのですが、当時の私はまだ10歳にも満たない小学生。欲しいものは何がなんでも手に入れなくては気が済まない無意識純粋メンヘラ坊主でしたので、秘密基地を手に入れるために血眼になって辺りを探している毎日でした。

そしてある日、昔競馬場があった広い空き地を散策し、やっと秘密基地になりそうな場所を見つけました。そこは私たちの身長を優に越える沢山のすすきに囲われ外部から見えにくい上に、おおよそ四畳半ほどのちょうど良い広さで、まさに秘密基地と呼ぶに相応しい場所でした。
私と友人は「ここいいじゃん!」と意気投合し、事前に持ってきた小さなウルトラマンのフィギュアや飲み物、父の部屋からくすねてきたインリン・オブ・ジョイトイが表紙のグラビア雑誌等を置きました。その様相はまさに秘密基地そのもので、それを見た私と友人の高揚感は尋常ではないものでした。

それからというものの、私と友人は何かあればそこへ赴き、ただ話をしたり遊んだり、グラビア雑誌で勃起したりと、秘密基地ライフを満喫していました。何というか、特に何もしなくても、秘密基地にいるだけで気分が上がるというか、現実とか日常とか、そういったものから少しだけずれるような感覚が堪らなく心地良かったんですよね。
まだ完全に設営が完了していなかったので、友人と一緒に少しずつ物を運びながら、楽しんでいました。
永遠に続けばいいのにと、何度も思いました。

しかし、その日は突然やってきました。

いよいよ残りの物を運べば秘密基地が完成すると思われた日。少し休憩しようと、基地でいつものように猥談をしていると、遠くに4、5人の人影が見えました。まあここは広い空き地なので人は時々見るのですが、その人影には何か異質なものを感じました。
その中には私と友人が知っているダイくんという先輩もいました。
ダイくんは、明らかに小学生ではない人達と一緒にいて、僅かに肩をすくめ、笑っていながらも少し怯えているような印象を受けました。
そして、ダイくんの周りにいた人達が、何やら細長い黒いものをダイくんに手渡しました。
目を凝らして見てみると、それはなんと、ライフル型の銃でした。
私と友人は驚きながらも、ここで声を出したら何やらやばい気がして、息を殺しじっと見つめるばかりでした。
ダイくん、何故……そもそも一緒にいる人達は誰なんだ?銃なんか持って、何がしたいんだ…?
疑問が塵のように積もりますが、私と友人は見ていることしか出来ません。
ダイくんは、引き攣った笑顔を周りに見せていました。

そうこうしているうちにダイくんは銃を構えました。
周りの人達は笑って見ています。
そして、ダイくんは誰もいない場所に銃を向け、引き金を引きました。
とてつもない音が鳴りました。

明らかに、エアガンやガスガンでは出ない音でした。

それを聞いた瞬間、私と友人は「ここにいては危ない」と本能的に察知し、一目散になって走り出しました。
あの銃が本物だったのかどうか分かりません。
ダイくんの周りにいた人達が何者かも分かりません。
ですが、その日を境に空き地には一切近づかなくなりました。勿論、秘密基地も失いました。
あと少しのところで、秘密基地は私たちのものになりませんでした。

逃げ出す時に置き去りにしたインリン・オブ・ジョイトイの瞳を私は今でも思い出します。

それから数年後、小学6年生になった私は、何となく成り行きで、本当に成り行きで地元のどこかの団体が主催をしている林間合宿に参加しました。こういうものは絶対参加しないタイプだったのですが、当時、映画『クローズZERO II』が激流行りしており何か刺激が欲しかったこと、林間合宿の案内を渡された時期が夏休み目前の帰りの会だったこと等が重なり、何故かその時はやけにハイになっていて、愉快な友人と私を含め5人で「これ行ってぶちかましてこようぜ」と強気な姿勢で参加を決意しました。

当日、林間合宿の集合場所に行く前に、先に同校の友人と集まってから向かおうということになり、近所の公園に行きました。
そこにいたのは2人。
「あれ?あと2人は?」
私が問うと、「あー、なんか来ないって、そもそも応募してなかったらしい」と、来ていた友人の一人であるジュンくんが言いました。
続けてもう一人の友人、カワダくんが「あいつら裏切りやがったよ。鳳仙にぶち込もうぜ」と、早速クローズネタをかましました。
まあ、全員来ず私だけという最悪の事態は免れたのでそれで良しとし、切り替えて集合場所へ向かうことにしました。

集合場所に着くと、そこには他校の生徒がわんさか。男女含め30名ほどは居たでしょうか。

私達3人はその圧に気押されながらも、「俺たちは鈴蘭…俺たちは鈴蘭…」と思い込み、胸を張り肩を大きく揺らして向かった先は受付。かわいいもんです。
受付のお兄さんに「○○小、6年、カワダだ」と見事にクローズZERO対応をしたカワダくんを見て、私も終始、芹澤の振る舞いを心がけて受付をしました。ジュンくんも例外ではありませんでした。

受付を終え、出発まで少し間があるので他校の生徒を少し観察してみることにしました。
丸刈りの野球少年、ハーフのイケメン、べティーズブルーの服を着た活発な女の子……色んな子がいて本当は内気で人見知りな私は目が回りそうでしたが、その中である一人の女の子に目がいきました。

ぽつんとひとり佇み、アンニュイな表情を浮かべている、ショートカットで少しだけ猫背の女の子でした。

私は好きになりました。
それはもう見た瞬間、好きになりました。
私の好み、ドストレートだったからです。
ヤバかったです、あの時の胸の高鳴りは。

すぐにでも声をかけに行きたかったのですが、いかんせん私は人見知り。ましてや異性との交流などもっての外でした。

私は強烈なもどかしさを持ったまま、出発時刻となり林間合宿所へ向かうのでした。

行きのバスではアイスブレイクとして、自己紹介が行われました。
私はアンニュイちゃんの番を今か今かと待ち構えていましたが、先にカワダくんの自己紹介タイムがやってきたようです。嫌な予感がしました。

「○○小、6年、カワダ。そこにいるジュンとタチバナは俺の連れだ。この3日間ぶちかましててっぺん取るんで、よろしく」

私の不安は的中しました。ここでも彼はクローズをぶっ込んできました。しかも私とジュンくんの名前まで出したのです。

本当やめてくれと。本当はもう恥ずかしいんだと。
きっとジュンくんもそう思っているはずだと隣を見ると、目を瞑り腕を組み「よく言った」と言わんばかりに首を縦に大きく振っていました。
もう私に味方はいないのだと、その時はっきり理解しました。

正直に言いますが、当時の私、クローズ観たことないし興味も無かったんですわ。なんとなく話を合わせてただけなんすわ。

周りの反応はというと、もちろん沈黙。
クローズを知っていると思われる何人かの男子が「うぇ〜い」と声をあげるのみでした。アンニュイちゃんはまるで相手にしていないような表情で窓の外を見ていました。その所作で益々好きになっちゃいました。

その後も何人かの自己紹介を聞き、いよいよアンニュイちゃんの番。

「〇〇小、ハナです。趣味はありません。よろしくお願いします」

それだけ言い残し直ぐに席へ座りました。

もうね、完璧なんすわ。こういう子の自己紹介ってこんな感じでいいんすわ。

その後、周りがだんだんと他校の生徒と打ち解けていく中、ハナちゃんは沈黙を貫いていました。クールでした。

ちなみに私の自己紹介は空回りしたので割愛します。

そんなこんなで林間合宿所に到着。
時刻はまもなく真昼を迎えるという頃でした。

着いてまず行ったことは、林間合宿恒例のカレー作り。
4人グループに分かれ作りました。ここではハナちゃんと一緒になれませんでしたし、特に何も起こりませんでした。強いていえば私がこっそり持ってきたマヨネーズを隠し味に大量に投入し、私のグループだけマヨネーズ味のカレーが出来たことでした。
スタッフのサトウ先生に怒られましたが、その後そのカレー絶賛してました。

昼食を終え自由時間。
大きな原っぱで鬼ごっこをする子もいれば、何人かで集まり話をする子、寝てる子もいました。

私はハナちゃんと話すチャンスかもしれない、と思い探しました。ハナちゃんはやはり木陰に一人で佇み、イヤホンをつけながら本を読んでいました。

めちゃくちゃに緊張しましたが、いよいよ心に決め話しかけに行こうと思ったその時でした。

ハナちゃんの周りに何人かの男子が集まり、そのボス的存在であるクロカワくんがハナちゃんに向かって言いました。

「お前、一人で何やってんだよ〜ギャハハ」

ハナちゃんは興味のないそぶりを見せながらも、少し怯えていました。

クロカワくんは丸刈りで小学生にしては体格もよく、威圧感がありました。その後もクロカワくんはハナちゃんを小馬鹿にするように話しかけています。取り巻きの男子達もそれに合わせてニタニタと笑っていました。

私は、助けなければと思いました。
が、私は、本当に私は愚かで、その光景を見た途端に足がすくんでしまったのです。
チビガリの私にとってクロカワくんは力で到底及ばない相手。ましてや相手は複数。当時の私はビビり散らかしてしまったのです。本当に情けない人間でした。

助けなければ、助けなければ、でも、怖い…でも…と、私が尻込んでいる間にもハナちゃんはどんどん涙目になっていきます。

その時、クロカワくんの元に一人の男子が現れました。

カワダくんです。


カワダくんは「この子、困ってんだろ」とクロカワくんに言い放ちました。
カワダくんも小学生離れした体格の持ち主で、それに慄いたクロカワくん達は文句を垂れながら退散していきました。

カワダくんは、格好良かったです。
それに比べて私は本当に何をしてるんだ。惨めになりました。私は人を助けられない、保身に走る醜い人間なのだと心の底から思うのでした。

勝手に傷心してしまった私は、無論ハナちゃんに話しかけられる訳などなく、一人で草をむしり続け、むしった草をむしっていない草に結びつけ合掌するという奇行に走り自由時間を終えました。

その後は本当に何も考えられず、数人話せる友達が出来ましたが、それでも私自身の醜さを拭いきれずあっという間に夜になりました。

その日の夜は、ナイトハイクという、言わば「肝試し」のようなイベントがありました。

スタッフの大人達がお化け役となり、古びた合宿所を4人1組のグループで周り、3つのお札を取るといった内容だったと思います。

私のグループは私、ジュンくん、べティーズブルーを着た女の子のササキさん、ハーフのエドくんでした。

それはどうでもいいのですが、問題はハナちゃん達のグループ。

なんと、ハナちゃんとカワダくんが同じグループになっていたのです。
しかも、先ほどの原っぱの出来事もあってか、ハナちゃんとカワダくんが仲良さそうに話しています。
ハナちゃんの笑顔をその時はじめて見ました。
しかし、その笑顔を向けているのは私ではなくカワダくん。

私は泣きたくなりました。
そりゃそうです。見て見ぬ振りをしてしまった私よりも、助けてくれたカワダくんの方がかっこいいし、好きになるに決まっている。

分かってはいるはずなのに、私の心にはどうしようもない寂しさや虚しさが押し寄せ、楽しみにしていたはずのナイトハイクは、もうどうでもよい行事となってしまいました。

順番が近づくたびに怖くて泣き喚くササキさんと、待ってましたと言わんばかりに肩を抱き寄せ甘い声で「大丈夫だよ」と囁くエドくんがなんかめちゃくちゃウザかったことだけ、なんとか覚えています。

完全に意気消沈した私は、全く眠れずに2日目を迎えました。
2日目の昼はマジで何したか覚えてません、確か軽い登山だったと思います。

しかし、ひとつだけ気になることがありました。
やけにハナちゃんと目が合うのです。

私はすぐに逸らしてしまうのですが、何となくハナちゃんからの視線をずっと感じていました。
なんとも言えない緊張が走り続けます。

カワダくんともよく目が合いました。お前はええわ。

そして楽しい時間もあっという間に過ぎ、2日目の夜。
この林間学校で過ごす最後の夜です。

お決まりのキャンプファイヤーを静かに眺めながら、揺らめく火先から時折覗くハナちゃんの顔を見つめます。やっぱり、ハナちゃんもこちらを見ている気がします。案の定、1人でした。

ああ、もう終わってしまうのか、結局ハナちゃんとは一言も話せず、終わってしまうのか。

そう考えながらぼーっとしていると、カワダくんが近寄ってきました。

「なあ、タチバナ、ちょっといいか?」
「どうしたの?」
「俺たちさ、てっぺん取れたかな?」

どうやらカワダくんは本気でてっぺんを取りに来ていたようです。
ですが、私にとってそんなことは最早どうでもよく、「取れたんじゃない?」と適当にあしらってしまいました。

「取れたかな、だといいけど、でもさ」
「でも?」
「俺はてっぺんをも越えたい。クローズを越えたい。クローズにないものを俺は欲しい。タチバナは分かるか?」

クローズにないもの?

そんなものないに決まっています。だってあいつらイケメンだし、喧嘩強いし、何でも持ってます、持ちすぎてて意味わからないですもん。
無論、そんなんないっしょ、と私は答えます。

「いや、あるんだよ。クローズにないもの、それは恋だよ」

確かにクローズにはほとんど女っ気がありませんし恋愛描写も皆無といって良かった気がします。
でも、恋が欲しい?カワダくんが?まさか……

私はドキっとしました。

「カワダくん、誰かに告白するの……?」
カワダくんはゆっくり頷きます。

ああ、もう完全に終わった。

カワダくんはハナちゃんに告白をする。ハナちゃんもきっとカワダくんが好きだ。
私が出る幕なんてないんだ。

「タチバナ、俺は今から告白しに行く。お前も好きな人出来ただろ?いけよ、大丈夫さ」

そういってカワダくんは去りました。
私はカワダくんの背中を見つめるしかありません。

ああ、カワダくんとハナちゃんか。うん、お似合いだ。カワダくんならいい。

カワダくん、ハナちゃんのとこに向かうんだな。頑張ってく…れ、、、ん?ハナちゃんはそっちじゃないぞ?違う、もっと、右だよ。あれ、そっちはクラサワさん、一番ブサイクって言われてたクラサワさんのほう……

カワダくんは、クラサワさんの前に立っていました。

理解が追いつきません。ハナちゃんのもとへ行くものかと思っていたら男子の間で一番ブサイクと話題になっていた(今思えば大変に失礼です)、クラサワさんのもとへ行きました。

カワダくんは広場中に聞こえる声で、クラサワさんに「好きだ!」と伝えていました。
あんなにうるさかった広場に沈黙が訪れました。キャンプファイヤーがパチパチと燃えていく音だけが広がります。
しばらくの沈黙の後、告白に慣れていないようだったクラサワさんが泣き出してしまいました。そしてカワダくんに「ごめんなさい!」と告げます。
それを見た他の男子たちは大爆笑。カワダくんも顔を赤らめふざけながら「笑うな!笑うな」と持ち前のコミュニケーション能力でその場を和ませます。

ふとハナちゃんのほうを見ると、微かに笑っている気がします。
私は「ああ、カワダくんが振られて、安心して笑ったんだろうなあ」と思い、勝手に落ち込み下を向いてしまいました。

カワダくん、凄いよあんたは。
私は告白なんて出来ない。意気地がないどうしようもない人間だ。

しばらく下を向いたまま落ち込んでいると、何やら私に向かって歩いてくる足音が聞こえました。
カワダくんかな、けど、上を向く元気なんてないな……

「具合悪い?」

聞きなれない、女の子の声でした。

「え?」
思わず私は声の方を向きます。

それは、ハナちゃんでした。

「え?え、あの、え?」
私は動揺します。

「ずっと下向いてるから。タチバナくんだよね」

どういうことなんでしょうか?
私は今、どういう状況なのでしょうか?
全くもって分からなくなってしまった私は「ふぁいい」と気の抜け過ぎている声を出してしまいました。

私の動揺もつゆ知らず、ハナちゃんは私の横にちょこん、と座り、話し始めました。
「カワダ、本当に告白したんだ」
「ど、どういうことですか?」
「あのクラサワって子、私と同じ学校。といってもクラス違うし一言も話したことないけどね」
「へえ、そうなんですね、え?」
「カワダにね、クラサワについて色々相談されたんだ。なんも知らないけどね、クラサワのこと」

そうか、そういうことだったのか。カワダくんとハナちゃんが話していた理由は、そうだったのか!
私の抱えていたもやもやが一つ解消されました。
だけど、なぜハナちゃんが私のもとへ来たのか全く分かりません。それを言いに?

「ハナさん、どうしたんですか、なぜわざわざ、僕のもとへ」
しどろもどろになりながらも私は質問します。

「なんでだろうね」

ニヤっとハナちゃんが笑います。いや可愛すぎだろ、なんで来たんだよ。
緊張してなんかすごい変な顔になってるよ、私。

続けてハナちゃんが言います。
「タチバナくん、自己紹介のとき滑っててすごい良かった」

割愛までしたあの自己紹介を、よかったと言ってくれました。マジで滑ったのに。滑ってよかったと心の底から思いました。恥ずいけど。

「ハナちゃんの自己紹介も、愛想がなくて良かったです」
私もハナちゃんの自己紹介の感想を正直に伝えると、ハナちゃんがぶはっと笑いました。可愛い、可愛いよ。

「面白いね立花くん、もっとつまんない奴かと思ってたのに」
「ハナちゃんもこんな喋る人だとは思わなかった」

少しずつ慣れてきた私は、その後もハナちゃんと他愛もない話を続けました。


ふと空を見上げます。
そこには今にも落っこちてきそうな星空が広がっていました。
そのなかでもとりわけ大きい星が3つあり、星が好きだというハナちゃんはそれが「夏の大三角」だということを教えてくれました。

「あの星がわし座のアルタイル、そこからまっすぐ左に見えるのがデネブ、はくちょう座ね。そんで、そのふたつの上にある大きい星が、ベガ、こと座」
「へえ、綺麗だね、物知りだ」
「私、林間学校なんて興味なかったけど、この星空が見たくてきたんだ」

もう一度、星を眺めます。いつのまにか私たちは寝転がり、視界には一面の星空と、見切れていながらも僅かに認識できるハナちゃんの横顔。

顔のすぐ近くにある草と土の匂いが混ざりあい、それが夏の匂いとなり私の鼻を通る。
この匂いはきっと、大地に全身を捧げている、ここにいる誰よりも大地の一番近くにいる私とハナちゃんだけが嗅いでいる匂いなのだと思うと、嬉しくてたまりませんでした。

キャンプファイヤーとそれを取り巻いている他生徒の声が、どんどん遠くへ、遠くへと感じ、いつの間にか私の鼓動とハナちゃんの息づかいだけが聞こえるような、そんな感覚になりました。

「タチバナくんはさ、好きな人いる?」

唐突にハナちゃんが聞いてきました。その言葉を聞き、私に再び緊張が走ります。今、言ってしまえばいいのだろうか。でもそれでだめだったら?気持ち悪いと離れられてしまったら?
あと一歩勇気が出ない私は黙りこくってしまいました。

黙りこくる私を横目にハナちゃんが続けます。

「なんかさ、カワダの告白みて、すごい良いなって感じちゃった」
「そ、そうかな?振られてたし」
「会ってまだ2日ちょっとなのにね、それで好きになって、振られるって、笑っちゃうよね」
「はは、確かに」

沈黙が訪れます。
しかしその静けさはとても心地が良いものでした。

ふとハナちゃんの方を見ると、ハナちゃんも私を見ていました。

そしてそっと、手を私の方に伸ばしてきました。
ハナちゃんは何も言わずニヤっと笑います。


そうか、そういうことなのか、ハナちゃんも、僕を。

私も少しずつ、本当に少しずつ手を伸ばします。
草に擦れる音もないほどゆっくりと、手を伸ばします。その間もハナちゃんは笑みを浮かべ続けています。
ゆっくり、ゆっくり、その笑顔を出来るだけ長く見ていたい。
ゆっくり、ゆっくり、手と手が近づいていきます。

そして段々とハナちゃんの手の存在、放射される体温を感じます。あと少し、ほんの少しで手が届きます。そして私はハナちゃんの手を——。


握ることが出来ませんでした。


指が触れそうになった刹那、私は唐突に怖くなり手を戻してしまいました。
なぜ怖くなってしまったのかうまく説明が出来ません。けれど、私は確かに手を戻しました。

ハッとなりハナちゃんの方を見ます。そこに笑顔はなく、驚いたような、悲しいような、説明の出来ない表情をしていました。
すぐにハナちゃんも手を戻し、何事もなかったかのように私に他愛もない話を続けました。しかし、声が少し震えているような気がしました。
そして私も、まったく頭に入ってこない話に、震えた声で相槌を打っていました。

私はどうすればよかったのでしょうか?

恋なんて、その人のことを好きだと思うことで精一杯になって、それを表現出来る言葉も仕草も、当時の私は持ち合わせていませんでした。
ましてやその人と両想いだったとして、これから先どうなりたいかなど考える余裕なんて全くなかったのです。

ただあの時、たった0.01㎜の距離にあった指先に触れていれば、手を握ることが出来ていれば、何か、とても美しい何かが生まれていたのかもしれません。今の私にはない煌めきやときめきが、存在していたのかもしれません。


キャンプファイヤーも落ち着き、合宿所へ戻る時間になりました。
私とハナちゃんも「また明日ね」と解散します。
合宿所に戻るハナちゃんの背中を見ます。さっきまで寝転んでいたので草や土が付着しています。きっと私にも付いています。手を戻してしまう前までは、ハナちゃんと一緒なことがあんなにも嬉しかったのに、今は苦しさしかありません。

私は草土を払いました。出来るだけ沢山払って、帰りました。

次の日、合宿所を出てバスに乗り、解散場所である駅まで向かいます。
私はバスのなかで、「降りたらハナちゃんに謝ろう、そして告白しよう」と考えていました。
カワダくんもその様子を察したのか、私に無理に声をかけてはきませんでした。ジュンくんは延々とじゃがりこの話を私にしてきましたが、全部無視しました。

そして、解散場所につきバスを降ります。
ぞろぞろと降りてくる人のなか、ハナちゃんを待ちます。

ハナちゃんが降りてきました。

私は意を決してハナちゃんの方に向かいます。
ですが、迎えの家族も多く、人混みでなかなか前に進めません。

人と人の隙間から僅かに見えるハナちゃん。

ハナちゃん。

ハナちゃんに、昨日はごめんねって伝えるんだ、そして自分の気持ちも。

前に進めません。人の多さを呪います。

ハナちゃん。

ハナちゃんが、こちらを向きます。

待ってて、ハナちゃん。

ハナちゃんがじっとこちらを見つめます。

ハナちゃんに気持ちを聞いてほしいんだ。ハナちゃん、ハナちゃん!


その時です。





ハナちゃんがニヤっと笑いました。


あの時と、同じ笑顔でした。

ハナちゃんはそのまま、人混みのなかに消えていきました。

もうどこにも、ハナちゃんの姿は見えませんでした。


またです。
私はまた、あの時の秘密基地と同じように、あと少しのところで手が届きませんでした。

思いがけず向こうからやってきた「欲しいもの」から、私は情けないことに逃げてしまいました。そして、逃げたことに後悔し、追いかけたときにはもう、どこにもそれはありませんでした。

0.01㎜のあの距離は、どこまでも果てしなく遠い、永遠に辿り着くことの出来ない距離となってしまったのです。



「会ってまだ2日ちょっとなのにね、それで好きになって、振られるって、笑っちゃうよね」



ふと思います。

「欲しいもの」は、思ったよりも、あまりにも近くにあります。
私は時にその近さに慄いてしまいます。そして自分から遠ざかる。

もう、ハナちゃんと一緒になることは出来ません。


ですが、あの人。


あの人となら、

私が後悔を抱えているもう一人の人物となら、一緒になることが出来る。

そして私は探しました。

そして、見つけました。

ハナちゃんを、ハナちゃんの気持ちを私は大切にできなかったけれど、その分、これからあなたを大切にするよ。


これからよろしくね。



インリン



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