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MBTIってひと昔前に流行ってたのに、最近返り咲いてるの、なあぜなあぜ❓

・今日は8月2日水曜日。久しぶりに日記書いちゃお~~わっしょいわっしょい!!!

・昨日はとある用事で面接を受けてきた。面接だからもちろん自分の長所や短所、性格の自己分析結果をアピールするような質問に答えてきたんだけど、面接の用意をする中で「自分っていったいどんな人間なんだろう、、、」ってことにすごく悩んだ。

・実はそう感じたのはその面接の準備をしている時が初めてではなく、昨今流行が返り咲いているでお馴染み、MBTI診断をしていてもとっても悩んだことだった。

・ちなみに私は星占いとかMBTI診断とか、心理テストとか好きで、見かけたらすぐやっちゃうし、すぐ信じちゃう。

・私は前にMBTI診断をしてISFJって診断が出た。世間体とか伝統とか協調を大事にして、和を乱さないことを重視する THE日本人 っていう感じの性格らしい。個人的にはかなり当たっていると思う。

・問題はその「診断結果がかなりしっくりきすぎてしまった」ことだ。私がISFJというカテゴリに属する人間だと知ってから、なんでか自分の中に「私はISFJだから○○だな」という考えが常に浮かぶようになった。
例えば2つのうちから1つ選択するときにより保守的な方、つまりISFJっぽい方を、意図的に選ぶようになった。今思えば、自分の○○したいっていう本心をごまかして、逃げて、保守的な方を選んで妥協していい理由にISFJっていうカテゴリを良いように使っていたなと思うこともたくさんある。実際最近リニューアルされたMBTI診断やってみたら、何回やってもINFJになるのが納得できなくて(全然当たってると思えないから)、自分の中では未だに自分のことISFJだと思っている。MBTI診断にも自認○○とか言い出したらもうおしまいだ。

・これはMBTIっていうカテゴリの存在が悪いのではなくて、完全に受け取る側である私の態度に問題がある。性格とか性的指向とか、そういう変化しうるグラデーションのあるものは特に、あんまりカテゴリに執着しちゃいけない。


・でも最近、世の中にはあまりにも多くのカテゴリが溢れかえっているから、それを使うときの目的と手段の順番を間違えちゃっている人は、きっと私以外にもいるだろうな~と思う。


・単純に、ある人の○○という部分が◆◆というカテゴリに一致するだけであって、その人のすべてが◆◆というカテゴリで語りつくせるわけではないというか。その人の今までの人生から築き上げられたものが、たかがアルファベット数文字で振り分けれられてたまるか、というか。

・MBTI、骨格、パーソナルカラー、もっと踏み込んで言ってしまうとLGBTQ+(さらに踏み込めばLGBTQQIAAPPO2Sというらしい)、HSP(これも○○型とかに分けられる)なんかも近年急速に浸透してきたカテゴリだろう。

・マイノリティや自分の個性に名前がつくことで帰属意識が生まれて、安心する気持ちがある反面、遂には自分の個性すべてが記号で振り分けられて、自分の中に残るものがなくなってしまうんじゃないだろうかと怖くなることもある。「結局自分って何なんだろう。。」って思っちゃうのだ。


・どうしたって人間はカテゴリを作るのが好きな生き物だ。実際私も今のところは学生で、女性で、ヘテロセクシュアルで、イエベ秋だし、骨格ストレートで、MBTIはINFJ(不服だが)だ。そうだ。私は人をカテゴリに分けるの好きだから、聞かれたら全部スラスラ答えられちゃうのだ。好きだからこそ、そのカテゴリだけで自分という人間を語りつくされてしまう危うさもひしひしと感じているのだ。



・なんの話だったっけ。面接か。


・おわり


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