見出し画像

流せるだけの余白をもって。

他人のささいなミスを「そういうときもあるよね」と思えるのは、心が広いからじゃなくて、心に余裕があるからだろうな。

心の広さなんてどうやって測るのかわからないから、ほんとに広い人とせまい人がいるのか、みんな一緒なのかわからないけれど。

でも、広さはあってもぎゅうぎゅうにいろんなものを詰め込んでいたら、そこに他人のミスへの対処を入れるすき間がなくて、「そういうときもある」とは思えない気がする。

***

今の私はだれかのささいなミスをみつけても、「あ、ここ間違ってる」としか思わないし、あまりイライラしたりもしない。

一昨年までの私なら、「あー、間違ってる、めんどくさい」とか、「なんでちゃんと確認しないの」とか思って、しょっちゅうイライラしていたのに。

私の心自体が広くなったわけじゃない、たぶん。比較できないからわからないけれど。

心に余裕を持てるように意識するようになって、自分を必死に守らなくてよくなって、「この範囲なら大丈夫」がわかるようになって、「そういうときもある」と流せるようになった気がする。

心の広さ自体は変わっていないけれど、心の中の余白が広くなって、外から入ってくるものを拒絶せず処理できるようになったかんじ。

***

そう考えると、小さなことに苛立ったり、いつもなら気にならないことに引っかかるときは、余裕をなくしてるときが多い。

その対象自体に問題があるというより、小さなことが積み重なって余白をぎゅうぎゅうと埋められることで、拒絶反応が起きてピリピリするんだろうな。

先取り貯金みたいに、先取り余白すると、だいたいうまく流れるのかもしれない。

#エッセイ

最後まで読んでくれて、ありがとうございました( ˊᵕˋ* ) よかったら、また読みに来てください!