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コラントッテは肩こりにシッカリ効く

「疑ってかかるべし」というのが、世の中のまぁ一般的な処世術なのかもしれない。騙されないように生きることが、賢いのだと。

しかし僕は、信じることからはじめるようにしている。

もちろん、なんでもかんでも信じるわけじゃない。見ず知らずの人から「この壺を手に入れた人には幸運が訪れます」なんていわれて、それを手放しに信じるほどお人好しではない。

ただ “ある” と信じてたほうがおもしろいようなものは、疑わずに、そこにあるものとして受け入れる心があったほうが、おもしろいのだ。


僕に見えないからといって "無い" わけじゃない

占いなんかは代表的な例といえる。その筋の人にとっては根拠のある話なのだろうが、素人からしてみれば、当てずっぽうに、そして無責任に、僕の将来を決めつけているように思えてしまう。

しかし「僕には見えない」「僕にはわからない」という理由だけで、そこに “あるかもしれないもの” を無いと決めつけてしまうのは、少々野蛮なような気がする。
その人にとって見えているのであれば、そこには “あるのかもしれない” のだ。

別に、その占いの結果、僕に不利益がふりかかるようなこともない。高額な壺を売りつけられるわけでもない。であれば、人生の指針のひとつとして受け入れて、自分の今後の立ち居振る舞い方を考えるきっかけにするのがいいのだと思う。


体調がかんばしくないときに、いつも診てもらっている人がいる。その人は、聴診器で胸の鼓動を聞くこともないし、注射器でとった血を分析したりすることもない。

僕はベッドの上に横になり、ただ “見て” もらうだけ。あるいはすこし “触れる” だけ。それだけで、僕の不調の原因を探り出してしまう。
そして、肩や腰に圧力をかけることもなく、薬を処方するわけでもなく、ただ軽く撫でたり、触れたりするだけで、治療を完了させてしまう。

はたからみたら、もしかしたらぼったくりの類に見えているのかもしれない。ちゃんとした医者に診てもらって、原因を突き止めるべきだと助言をするのかもしれない。

しかしその人には、僕が身にまとっている “なにか” が見えていて、そこから不調の原因を読み取り、そして取り除く術を持っている。

だから僕は、その人の “過程” を疑うことはなく、「良くなった」という結果だけを信じるようにしている。そして、その人に備わっている力を純粋に “すごい” と受け入れているのだ。


信じていたほうが、だいたいおもしろくなる

昔からこうだったわけではないと思う。むしろ疑い深いタチであるし、目に見えないパワー的なものは信じていない方だった。

しかし、いつだったか気づいたのだ。“可能性” を信じず、みようともしないで、目に見えていない世界が “無い” と決めつけることが、どんなにつまらないことだったかと。

目に見えないものを受け入れると、世界がひとつ広がったような感覚になる。”運” や “運命” という漠然とした偶然も、なにか理由のある “縁” だと考えられたほうが、人生は豊かに、そして自由になるのだ。

なんでこんな話になったんだっけか。

——そうだ。コラントッテだ。


コラントッテは肩こりに効く

スポーツ選手がよく首や手首に巻いている磁気アクセサリーのメーカーで、その世界ではとてもメジャーなアイテムだ。アイススケートの選手が首に巻いているのを見たことがある人も多いだろう。

この「磁気アクセサリー」というのは結構うさんくさい。「本当にこんなものを見に付けただけで、日々のパフォーマンスが上がるのだろうか」と疑いたくなる。

ただ、どうにも肩周りの痛みを取ることができず、藁にもすがる思いで使いはじめたのが、このコラントッテのネックレスだった。
そして、嘘みたいな話ではある、肩こりが劇的に改善したのである。

いままで、首を左右に回すと、90度も曲げることができず、何かがつっかえるような違和感があった。しかしコラントッテを使ってからは、この “異物感” がなくなり、首の可動域がグッと広がった。——感じがする。

——そう。あくまで僕がそう感じているだけ。
しかしこれも “信じている” からこその効果だと思っている。

もし僕が「いやぁこんなもの使っても変わらないでしょ」という気持ちで向き合っていたら、僕の体も身構えてしまっていただろう。僕がフラットな心で受け入れられたから、体もキチンと応えてくれたの、かも。


「信じるものは救われる」ともいうけれど、僕の場合は「信じたほうが、だいたいおもしろい」。

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