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甘える準備

今年の3月に27年勤めた会社を退職し、4ヶ月が過ぎた。(写真は職場の部下や上司や仲間が送ってくれた寄せ書き)

今は時々ハローワークに行ったりしながら、毎日飽きもせず近所を散歩したり、友達とゴハンしたり、時にはちょいと旅行してみたりと半世紀余りの人生初でふわっとした暮らしをしている。

お盆に帰省した際、久しぶりに会った甥っ子ちゃんが私のインスタを見てくれていたようで、「いろんな所に行ってるみたいだねww」と、いい歳して暢気に遊んでいる叔母を面白がってニヤニヤしていた。

時々他人様から「今は何をしているの?」などと訊かれることがあり、ニンマリしながら「遊んでます💛」と答えると、一瞬「へ?」という表情の後に「う、うん。お勤めするって感じではないと思った」と半分苦笑い。真面目に?長年勤めた痕跡は私の中に最早あとかたもないらしい。

一方、実家の母親はムスメが「会社で出世して親子共に安泰の老後」を想定していた為か、未だに諦めきれないご様子。

というのも無理もない。確かに働いていた頃は経済的に実家をサポートしている部分もあったから。

他に兄弟もいるのだが、母からすると何故かそこはムスメの役目。そして私自身もそれが自分の存在意義だと思っていた。

反面、ご両親やご実家が裕福だったり社会的な影響力があったりして、ご加護を受けられる境遇の人をいつも「いいなぁ~、羨ましいなぁ~」と羨望の眼差しで眺めていた。

しかし実際は私たち3人の子供に加え、既に見送った祖父母や近所に住む親戚の子の世話まで何故かうちの両親が引き受けていて(私は密かに心の中で自分の家を「姥捨て山」と呼んでいた。爺ちゃん婆ちゃんゴメン)、余裕など無いのが当たり前だということは頭では分かっているし、そんな長男長女カップルの二人を尊敬もしているのだが。

で、この度めでたく?早期リタイアした勢いで、70代後半ながらも自営業で元気に働いている父親に向かって

「なにせ無職なもので♪」

「これからはとーちゃんに面倒見てもらわないと♪」

を連呼している。

すると、父親もまんざらでもなさそうに「おう!住む所と食うものぐらいは面倒見てやっから安心しろ」と言ってくれた。

そんな冗談みたいなやり取りの中で覚えた、自分でも意外なほどの安堵と満足感。なんだこりゃ?

そこでハタと気付いたワタシ。

恵まれた?境遇の他人様を羨ましがっていたのは「親に甘えられない自分」の投影だったのだ。

正確には「稼がないと価値がない」と思っている自分。

実際には支援を必要とする状況ではないけれど、「明るくて働き者の自分」から「明るいだけが取り柄の自分」(純愛ラプソディーかよ)になっても、受け止めてくれるかどうか、甘えて良いかどうかを確かめたかったんだな、きっと。

しかし、その許可を自分に出すまでに4ヶ月?何なら27年?

いやまさか(汗)

相変わらず時間がかかる・・・。





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