出会うべきタイミング

「もっと早くにクライミングに出会えていたら良かった」「子供の頃にクライミングに出会いたかった。」


どこのジムの、どんなクライマーでも思う、"クライミングあるある"の不動の一つだと思う。



しかしながら、僕は強がりでもなんでもなく、この種の感情を抱いたことはなくて、なんなら大人になってからクライミングに出会えて本当に良かったと思っている。




大人になって色んな事を経験してるからこそ、クライミングが持つ素晴らしさや魅力を、過去の経験と相対的に比較することができる。もちろん相対的に比べなくてもクライミングに打ち込める人も多いが、自分の性格的に、子供の頃に出会えていたら、違うものに興味がうつっていたかもしれない。


僕自身は29か30歳の時にクライミングに出会って、もう38歳になってしまった。モチベーションの高かったクライミングの同期も環境の変化などでほとんどいなくなってしまうなか、自分は向上心やモチベーションは低下することがない。クライミングの向上心を持ったまま死んでいくのは、人生の目標のうちの一つだ。


クライミングに出会う前、高校・大学は陸上競技部で箱根目指していたと何度も書いたかもしれないが、本当に7年間、命をかけて取り組んだ。走ることが大好きで仕方がなくて、一生、走っているもんだと思っていた。


結局、箱根を走ることは叶うことはなかったが、チーム内で惜しい立ち位置まではいけたし、2004年の大学卒業間近に、同年のアテネ五輪で福士加代子選手が活躍できるように女子実業団コーチの依頼が来たこともある。 彼女は4度の五輪に出場し、今も現役のレジェンドだから、それなりに僕が真剣にやっていたことが伝わると思う。


実業団のコーチを引き受けるつもりで顔合わせの合宿にも参加させてもらったが、その一週間の合宿中に、もう自分が完全に陸上競技に燃え尽きていることを悟り、その道を断った。断った相手は、永山忠幸監督。こないだの名古屋ウィメンズマラソンで五輪の最後の一枠を決めた一山選手と、師弟の熱い抱擁をしていたワコールの監督だ。





話は大きく反れたけど、そこから、陸上競技を引退してからというもの、陸上競技と同じように、打ち込める【なにか】を探していた。条件としてはざっとこんな感じ。


🌑すべてをぶつけられて

🌑努力が成長に繋りやすく

🌑加齢によるパフォーマンスの低下が少なくて

🌑一生向上心を持って取り組める


スポーツに限らず本当に色んな事を自分なりに試したが、どれも陸上競技のようにしっくりは来ずに、涌き出てくるエネルギーをぶつけるやり場がなくて、悶々とする数年を過ごしていた。


そんな中でも、滝巡り・沢登りにハマり、断崖絶壁にあるような滝を求めて登山をするようになり、その延長でクライミングを始めた。当時は仕事になるなんて思っていなかった。


人が何かに悔しがったり、負けたくないことだったり、諦めずに取り組みたいことは、一生の中でなかなか出会えない。クライミングを続けていて、悔しい思いをすることも多いが、僕はそもそもが【悔しさを味わう為にクライミングをしている】部分があるので、僕の中でクライミングを辞めるときは、【悔しさを感じないクライミングになったとき】だ。


もちろん、エンジョイクライミングとして、エクササイズやコミュニティの為のクライミングを否定する気はないし、それらも提供しているつもりである。(しかしながらクレーマー的なクライマーが多いのはこの層に多い気がするのは、気のせいなのか?)





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  前店舗の小学生の教え子は粒揃いで、健やかに育っていたけど、移転で環境もかわり、全滅してしまったと書いた。愛情をもって接していたつもりだったから、大人クライマーとの日々も楽しみつつも、実はものすごく寂しくて、ぽっかりと心に穴があいたような日々を過ごしていた。


でも、最近、急に子供の会員が増えて、それらのほとんどが体操出身(もしくは現役)で、フィジカルやメンタルもかなり出来上がっている子供たちとの出会いがあった。彼・彼女たちは体操を打ち込んだ経験や挫折があるからこそ、クライミングも長く続けてくれるんじゃないかと期待している。


過去の経験と相対的に比較して、クライミングが素晴らしいことを肌で感じてくれているので、取り組みを本当に楽しそうにしてくれている。彼・彼女たちの両親も、感心するくらい、楽しく取り組んでいる。きっと1~2年後、コンペで大暴れするだろう。


このまま楽しんでやってくれたらいいと思って、オーナーの自分は、子供たちが【夢中のスパイラル】に入ってくれるようにと、工夫している。
夢中のスパイラルに入れば、取り組みは努力と思わなくなるから。



そして、昨日、一番の教え子の小学 4年生の○○ちゃんが戻ってきた。週 6で、旧バンブーに通ってくれていた【夢中の住人】【バンブーの申し子】だったけど、火災という運命に翻弄されて、数ヶ月、見ない日が続いた。


バンブーが無くなっていた半年で、普通の小学生らしい、自転車などで同級生と遊ぶことに目覚めたらしい。おそらく、前の店舗のキッズ達が誰もいなくなってしまったこともあって、モチベーションが下がっていたんだとも思う。


それそもが、沢山の大人のクライマーの中、小学生が混じっていることは不自然だし、自然な方向へ進んで行ってたんだな、と感じていた。友達と泣いたり笑ったり遊んだりしながら、またいつかクライミングに戻ってきてくれたらいいなと思っていたけど、もう、会えないものだとも覚悟していた。





でも、こうして戻ってきてくれた今は、クライミングから離れた時期があることで、クライミングがいかに稀有な魅力を持ったスポーツであることを感覚的に理解できただろうから、今後はより本腰をいれて取り組んでくれるんじゃないかと期待している。


まあ、また違うものに目移りしても、何度でも辞めたりカムバックしても、受け入れてくれる器量がクライミングにはあると思う。

この春は新規との出会いも楽しみだけど、クライミングから離れてしまった大人たちにも、もう一度会えることを強く望んでいる。


○○男さんや○○子さん。火災をきっかけに会わなくなってしまったお客さんは多い。クライミングをしていない日々が、その人たちにとって、つまらなく刺激のないものになっていることを、意地悪だけど望んでいる。


またクライミングを通じた、刺激的で張りのある日常を欲するようになれば、いつでも戻ってきてほしい。店をまたぐ勇気はそれなりに要るだろうけど、僕が全力で和ませに行くから、気まずいのは、ほんの一瞬の出来事だ。









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