ネタバレあり ひとりの茅原実里ファンとして、ヴァイオレットエヴァーガーデンを観てきた話

映画で泣いたのは今まで2回だけだ。ヴァイオレットエヴァーガーデン(以下VE)外伝と、今週封切りになったVEの新作である。

VEという作品は、自分にとって希望そのものだった。と言いつつ、原作を読んだわけではないけれども。国にも制作会社にも、茅原実里さん自身にもいろいろあって、気持ちが折れかけていたところを何とか繋ぎ止めてくれていた作品。そのフィナーレを見届けた。今回の話は大きく3本にわかれる。予告編とキャストクレジットから、ヴァイオレットと少佐の過去を明かすことは想像できたが、ドールが役目を終えた後の世界まで描くとは思わなかった。そして、2人の少年とその家族の物語は「ヴァイオレットを主人公とした話に添える」にはあまりに重いものだ。良し悪しではなく、彼らのシーンのひとつひとつ、率直に言って観ていられなかった。白飯をよそう感覚でもう一度穏やかにみられるものではない。その時が近いと、何度も示唆されてきたからこそより深刻に受け止めざるを得ないシーンだった。ベネ君やアイリスさんの奔走も含め、緊迫感が怖いとさえ思った。永遠の別れの悲しみと、要所でどうしても素直に本心を晒せない各キャラクターの姿、こうした状況を真正面から表現しやり遂げる作りかた。こんなものをみて、泣かずにいるのは無理があった。自分も友人を失っている身なので、2人の少年のシーンではメガネを外して大泣きしてしまった。1作品のシーンの一部なのだけど、そのときのことを思い出して背筋が伸びる思いだった。

茅原実里さん演じるエリカ・ブラウン。登場シーンは短く、台詞もさほど多くはなかったが、役割としてはかなり主題に迫るポイントを示していたと思う。元いた場所を離れ、新しい自分を、人生を歩む姿は少佐に重なる部分があった。

しかし、少佐は「先生」になっていた。エリカもまたお芝居の「先生」に師事している。茅原実里陣営的にはもう「先生」はNGなので、序盤でのフェードアウトも致し方ない。いまでこそ平静を取り戻しつつあるが、4ヶ月前は別のヴァイオリニストの姿をみるのも、弦楽器の音を聴くのもイヤだったから、まぁそっとしておこう。

ラストシーンが迫るなかついにヴァイオレットと少佐が出会うシーンがやってくる。個人的には涙は先述の少年たちのシーンで流し尽くしたので、あとは美しいラストを穏やかに見届けようと思っていた。その時だ。

あなたの声が みちしるべ

うわぁ何でそんなことするんだよ斎藤滋さん!!

今回の主題歌・エンディングテーマはTRUEさんの担当であったが、最大のヤマ場で切り札をきってきた。走る少佐、離れるヴァイオレット。そして流れてくるストリングスアレンジのみちしるべ。もしかしてこれもアイツが弾いているのか?まったく「ヴァイオリニスト」としては最高だな!

以前も別記事でふれた記憶があるが、みちしるべが発表になるまで、実里さんは数年リリースから遠ざかっていた。(だいたいそのくらいの時期からプライベートでの悪夢が始まっていた気もするが、)自身の出演作で久々のタイアップ。心から嬉しかった。ハルヒも境界の彼方も、常にこの会社とこのアーティストで二人三脚を組んできた。あらすじと曲名から「あぁバラードかぁ」と少々ガッカリしていたことは認めよう。でもきっと、これは大切な曲になる。心して、この作品に向き合おうと思ったのだ。その集大成といえる本作で、物語の全てと言ってもよい少佐との再会。誰の発案かはわからないけれど、そのシーンにみちしるべが使われたこと。それだけでも価値がある。名前を消さずにおいてくれた。帰ってきていいよと言ってもらった。こんなにも嬉しいことがあるだろうか。しまいにはEDクレジットの「音楽プロデューサー 斎藤滋」で泣く。会ったことないのに。今まであの人を支えておられた方々は、大半かわらず手を差し伸べ続けてくれている。それを改めて感じた。いま、日曜の21時すぎ。半沢直樹が放映されていることだろう。倍返しの復讐心よりも恩返しの真心。みちしるべ・エイミーという楽曲や、エリカという役どころ。それらが与えられ生み出された意義はむしろこの先の未来に滲み出るべきものだと思っている。前にも書いたが、自分はもうあの人の言葉や心を信じることはできなくなってしまった。しかし、ステージでの姿や楽曲に宿る魂が、眠りかけた感覚を一気に呼び起こす可能性は残っている。傑作に出会った今日という日に感謝するとともに、これからの未来にもう少し期待したい。現状、キャラソンライブの開催は予定通り。その頃には、VEの世界における手紙と同じくらい大切な、新しい曲がもたらされていることを願う。LiSAさんがCDをラブレターと表現する気持ちが、今日ならわかる気がする。