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1泊2日…滝尻王子~熊野本宮大社②(中辺路)

高原霧の里を抜けて進んで行きます。

旧旅籠通り。
古民家カフェや現在も営業中の宿泊所などを抜けて、山の中へ。

一里塚の石碑のある休憩所で小休止。
登りが足にダメージ…エアサロンパスをシューっと、筋肉を冷やす。

杭10番、まだスタートして5㎞😥
高原池。まだまだ登り。

大門王子(Wikipedia)
ここでも中辺路スタンプを押します。

この辺りが頂上でしょうか?見晴らしの良い道を進んで行きます。
杭12番の少し前から下り。

重點(十丈)王子跡(Wikipedia)ここからまた登りです。

小判地蔵

この小判地蔵は、飢えと疲労のために、小判をくわえたまま、ここで倒れたという巡礼を弔って、まつられたものである。地蔵には 「道休禅定門」という戎名が彫りつけてあり、豊後国(大分県)有馬郡の人であったことがわかる。多分伊勢と熊野に参って紀三井寺 へ向かう途中、嘉永七年(1854) 七月十八日に亡くなり、その 死を哀れんで、この地の愛洲氏が主になって、地蔵を建てたのである。 

現地説明板より
悪四郎屋敷跡

十丈の悪四郎は伝説上の有名な人物で、力が強く、頓智にたけていたといわれる。悪四郎の「悪」は、悪者のことではなく、勇猛で強いというような意味である。江戸時代の『熊野道中記』の一書に十丈の項に「昔十丈四郎と伝者住し処なり」とあり、それがここだと見られている。背後の山が悪四郎山 (782メートル)で、ここから約三十分で山頂へ登ることができる。

現地説明板より

悪四郎屋敷跡から下り坂になる。
杭17番からまたきつい登り。
上多和茶屋跡まで登りです。

上沢茶屋跡
この山上は、上多和と呼び、標高約600m。熊野詣の盛んな頃は、ここに茶店もあったといわれ、大正期にも人家があって林中には、 三界万霊塔やお墓もある。
また、この山上には陰暦の11月23日の夜になれば、東の空に三体の月が現れるとの伝承があり、ここにあったしめ掛け松のもとに大勢集まり粟や黍の餅を供え、心経をくり、月の出を待ったという。 三体月は、「熊野権現垂迹縁起」の伝承の中にもみられる。

現地説明板より

三体月伝説
今は昔、熊野三山を巡って野中近露の里に姿を見せた一人の修験者が、里人に「わしは11月23日の月の出たとき、高尾山の頂きで神変不可思議の法力を得た。村の衆も毎年その日時に高尾山に登って 月の出を拝むがよい。月は三体現れる。」
半信半疑で村の庄屋を中心に若衆達が、陰暦の11月23日の夜、 高尾山に登って月の出を持った。やがて、時刻は到来、東伊勢路の 方から一体の月が顔をのぞかせ、あっというまにその左右に二体の月が出た。三体月の伝説は、上多和、悪四郎山、槇山にもある。

現地説明板より

三体月伝説。神秘的ですね。
えっ?乱視ちゃうか?😂🤫

杭20番を通過。スタートから10㎞です。
石畳の道の下りが滑る滑る。
登り以上に筋肉疲労。この時点で感動してた古道らしい良い雰囲気の石畳道は、またか…歩きにくい!という印象に変わる💦

大坂本王子跡(Wikipedia)
ここでも忘れずに中辺路スタンプ。
あと少し行けば、牛馬童子像。
8年(2008年)前?誰かが悪戯で割ったとかニュースになりましたね。

その前に国道311号線へと下りて、牛馬童子ふれあいパーキング(道の駅)で昼食。
しっかり水分補給もして、ゆっくり休憩。
靴と靴下も脱ぎ足を乾燥させます。
これが足マメ対策になります(豆知識🤭)
このあたりから雲行きが怪しくなりだし、ゴロゴロと雷の音…ぽつんと雨も…にわか雨が降りそうな空模様。
 
③へ…続く
(2016年8月)

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