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5日目…JR海南駅~JR湯浅駅①(熊野街道/紀伊路)

新年早々、熊野街道歩きのつづき。
早朝…JR海南駅スタート。寒いです。
ココからは、この→【地図】を参考に歩きます。

熊野一の鳥居跡(大鳥居遺蹟)

ここは、熊野古道(小栗街道)と近世の熊野街道との合流点にあたります。
『紀伊続風土記』に熊野一の鳥居があったこと、地名「鳥居」の由来もこれによると記されています。
鳥居のすぐそばに「祓戸王子(鳥居王子)」があり、垢離をとり心身を清め、熊野聖域へと入って行ったのでした。この鳥居は天文十八年(一五四九藤白神社の二の鳥居の傍らに「熊野一の鳥居」と刻まれた石碑も残っています。
平成十一年三月一日
海南市教育委員会

現地説明板より

高架線路沿いに少し歩き左折。
ここから熊野聖域みたいです。

街道から少し逸れて祓戸王子跡へ。
寒いからたくさん歩いて体を温めなければ。
あっ!!菩提房王子跡を通ってない!まぁ…いいか😅

祓戸王子跡

和歌山県指定文化財
昭和三十三年四月一日指定
ここ祓戸王子跡は、熊野本宮大社の手前に も「祓戸王子」があるように、熊野への入口 として垢離をとって、心と体を清める場所でした。
当時は、藤白王子の大楠、藤白坂の筆捨松や藤白峠が一望できるひとつのポイントであったといわれています。
祓戸王子の下の三叉路は、熊野古道と近世の熊野街道の交差するところで、熊野一の鳥居跡を記す石碑があり、そこから「祓戸王子」への登り道があったといわれています。
平成八年十二月一日
和歌山県教育委員会
海南市教育委員会

現地説明板より

住宅街を抜け山道へ。野仏(石仏)が良い雰囲気です。
少し開けた場所に祓戸王子跡(Wikipedia)
山道をくだり、先ほどの道標の所まで引き返す。
途中、石畳の道で足を滑らせ尻餅をつく。大した怪我で無くてよかった。
まだまだ歩き始めた所。本日も20㎞以上は歩く予定ですからね😅

少し行くと鈴木屋敷。鈴木さんの元祖(ルーツ)らしいです。(Wikipedia)

鈴木屋敷をぬけて行くと、藤白神社(藤白王子跡)(Wikipedia)(ホームページ)
ここで今回も持参の熊野古道紀伊路スタンプを忘れず押して、藤白坂へ。

ここから峠越えです。

有間皇子の史跡

有間皇子は、孝徳天皇の皇子です。
斉明四年(六五八)十一月に、謀反の疑いで捕らえられ、牟婁の湯(白浜の湯崎温泉) に行幸中の天皇のもとへ護送されました。
中大兄皇子の尋問を受け、その帰り道に、 この藤白坂で絞殺されました。皇子は十九歳の若さであったと伝えられています。
皇子が護送途中、自らの運命を悲しんで詠んだ歌が二首あり、そのうち一首が、ここの歌碑に佐々木信綱博士の筆で刻まれています。
『家にあれば笥に盛る飯を
草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」
海南市教育委員会

現地説明板より

ここから丁石地蔵を目印に街道を歩ていきます。

一丁石地蔵
三丁石地蔵

もちろん坂道(上り坂)です。振り返ると良い景色。
年始休み期間なので、同じように藤白神社から熊野街道を歩いてる人たちが居ました。
 
②へ…つづく
(2017年1月)

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