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南海/近鉄河内長野駅~南海九度山駅④(高野街道)

左 京大阪道・右 高野道かな?
左側の細い道が街道コースだと予測して歩く。
東家交差点で、国道24号大和街道と交差する。
紀の川に向かって真っ直ぐ進んで行きます。

東家渡場大常夜燈籠

 東家渡場大常夜燈籠
高野街道は京都・大阪・堺から河内長野を経て高野山へ向かう道で、古くは九度山町の慈尊院から町石道を登った。その後、御幸辻から南下して当地に至り、紀の川を渡って学文路から高野山へ登っていく道が開かれ、室町時代後期にはもっぱらこの道が用いられるようになった。橋本の地名の由来となった橋は、天正15年(587)に応其上人によって架けられたが、3年後に紀の川の増水により流失し、舟による横渡が行われるようになった。その紀の川北岸渡場に建てられたのがこの大常夜燈籠である。この石燈籠が建てられたのは文化11年(1814)で、長く「無銭 横渡」の渡場を伝えてきたが、その後、河川改修のために現在地に移築された。元は同型の燈籠2基が相対して 建てられていたが、うち1基は紀の川の洪水により流失した。台座四面の銘文によると、阿波国藍商人の連中をはじめ、 京都、難波、堺の商人および和歌山の川舟仲間ほか多人数の講社、信者などの浄財によって建てられたもので、当時の弘法大師信仰の広がりと、かつての紀の川渡場の賑わいを今に伝えている。

現地説明板より

高野山女人堂まで四里道標石だと思います。

橋本橋で紀の川を渡ります。
上から読んでも下から読んでも…🤭

国道370号を少し進むと、紀の川沿いの脇道があるのでそちらへ。

三軒茶屋大常夜燈籠

旧高野街道 三軒茶屋大常夜燈籠
高野街道は京都・大阪・堺から河内長野を経て高野山へ向かう道で、古くは九度山町の慈尊院から町石道を登った。その後、御幸辻から南下して谷内川(橋本川)河口付近から紀の川を渡って当地に至り、学文路から高野山へ登っていく道がひらかれた。この道は町石道に比べ距離も短くなったことから、室町時代後期には高野参詣はもっぱらこの道が用いられるようになっ た、天正15年(1587)応其上人は紀の川に橋本の地名の由来となる長さ130間の橋を架けたが、紀の川増水により3年後に流失し、橋に代わって舟による横渡が行われるようになった。この紀の川南岸渡場に建つのがこの大常夜燈籠で、彼に北岸にも同様のものが建ち、この間で長く「無残橋渡」が行われた。元は石燈籠2基が相対して建てられていた 。近年の周辺土地区画整理に伴う道路拡幅のため東側の1基が北へ約5メートル移された。この石燈籠には宝暦2年(1752) の建立銘とともに「高野山興山寺領」の銘が刻まれ、紀の川を渡って高野山領に踏み入れた旅人たちの感慨が偲ばれる。

現地説明板より

旧街道の雰囲気が感じられる道。
迷う事もなく車に怯える事もなく歩ける。
西国観音巡礼の写しだろうか?
四番札所の施福寺と書いてある。

清水不動寺。
この辺りだと殆どの寺が、弘法大師ゆかりの寺でしょうか? 

御影堂福成就寺。紀伊国西国霊場19番札所。
まだ、道なりに街道を進みます。

⑤へ…と続く。 
(2012年10月)

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