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過酷、競争、自由、私怨

今日の発表により、エンタケが多くの人に認知される結果となった。

発表ではエンタケについて話せることを全て話したことになるが、肝心の学科リサーチがうまく行っていなかったようで、先生的には微妙な感触のようだった。

この後、ジャッジタイムというものがあり、エンタケが本当にいそうかを同じ学科の20名に判定してもらう時間があった。

この時、私が「いなそう」にあげた創作人物の制作者の人たちが仕返しと言わんばかりにエンタケに「いなそう」を挙げてきたので、その幼稚な思考を笑ってしまった。

それはともかく、私情を持ち込まず、冷静で平等な判断ができない人間が大学生にもなって存在しているという事実に困惑した、という感触の方が大きい。

と、いうことでこの出来事についての所感を書きたい。

私は根に持つタイプではないのでここに書いて精算する。ここに書いた分で終わりだ。

何かを人に伝えて、それが他人から酷評を喰らった場合は、それを次回に改善したり、見返してやろうという発想になるのが理想的であると私は考えている。

そもそも、素人である他人の評価を気にしているということ自体あまり褒められたものではないと思っているのだが、それを差し置いても、「仕返しして気を収める」という行為で他人に不満をぶつける行為は須く幼稚であるし、思考が短絡的であると考える。

次回、例の班の人間がどのような発表をし、我々にどのようなアクションをとってくるかは分からない。少なくとも、早計な思考による浅い恨みを買っている状況から、また仕返しの酷評をされるかもしれない。頭が悪いと平気でそういうことをすることを私は知っている。過去に自分がやった実感がある。恥ずべき失態だ。

しかし、こちら側としてはそういうものには表面的に反応をしないのが正しいので、次回も先入観、贔屓目なしの平等な目線で判定していきたい。良いものは良い、良くないものは良くないというスタンスはどんな状況においても重要だ。

私は今、他人の評価を気にしているからこういうことを書いているわけではなく、「仕返ししてやろうという短絡的な思考をする人間が身近に存在することに驚きと新鮮さを感じた」という体験を書き留めているに過ぎないので、もはやメンタル、思考、立場全てにおいて勝利している、というか、立つ土俵が違う。

もはや、そういう低レベルの人間に対して感情のリソースを割くのが無駄なので、この日記を最後に一連の出来事を忘れることにしたり、他人との会話の話題にするなどしておきたい。おやすみなさい。

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