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すべての若き野郎ども


 そりゃあ最初は驚いたよ。
 だってよ、あいつはあの頃俺が働いてた現場で暮らしてたんだ。現場っつったって、家の建築現場だぜ? コンクリ敷いて柱が組んであるだけの家ん中でよ、施工主より先に寝てやがった。俺下っぱだったから一番に行って準備しなきゃいけねえからさ、皆より早く現場行ったんだけど、準備するのも忘れちまったね。考えてみなよ、夏、柱だけの中で冷てえコンクリの上に貧弱なガキがボロい服着て寝転んでんだ。俺はピンときたね、ああこいつ家出したな、って。
 親方達が来る前にこいつを退かさなきゃ、って思って起こそうとして呼びかけたり揺すったりしたんだけどさ、てんで起きやしねえ。図々しい奴だな、って思った矢先親方が来てさ、どうしたタクヤ道具出てねえぞ、って言うからやべえ叱られると思って、いやこいつ退かそうとしてんすよ、って寝転んでたあいつのせいにしたんだ。俺その日ちょっと遅れてたからな。そしたらそん時の俺みてえなハタチいってねえガキとは違うね、親方、あいつの頬っぺたバチバチ叩いてぐいって持ち上げちまった。親方、喧嘩するみてえに胸ぐらつかんでんだけどよ、それでもあいつ起きやしねえんだ。そしたら親方、急に渋い顔して俺に言うんだ。
「こいつ、気絶してるぞ」
 とにかく、俺には初めてだったね。
 建築現場に寝てて、しかもマジでブッ倒れてるような奴と会うのは。

 それからあいつは、親方とか後から来たおっちゃん達に介抱されてどうにか気が付いた。よく見たら唇青くって夏なのに震えてて、俺はまたピンときたね。
「おめえ、ペンキ臭えぞ」
 親方はそう言ってたけど、あいつの匂いはペンキじゃねえ、シンナーだった。中毒んなっちまうほどシンナーやってたんだよ。だから叩いても起きねえぐれえブッ倒れてたんだ。つまりは、ブッ飛んでやがったってことだ。俺も中学出た頃、高校行かねえでボンドばっかやってたからすぐ判ったよ。
「親方、これペンキじゃなくて多分シンナーの匂いっすよ」
 俺がそう言ったら親方、俺の目ぇじっと見て、そうか、ってだけ言ってあいつに急に優しい態度になった。親方、賢いよな。そりゃあさ、日に焼けて腕太えおっちやん五、六人に囲まれてみなよ。強い態度に出たら誰だって怖がるだけだろう? どうしたんだ、とか、名前何ていうんだ、とか言う親方の質間に、あいつは今にもまた倒れちまうんじゃねえかと思うくらい小せえ声でやっと答えたよ。名前はサダオカセイジで年は十五、やっぱり家出してたんだよ。
 他にもいろいろ訊く親方にあいつは、セイジは答えてたけどさ、何で家出したのかだけは絶対言わなかった。中卒で今はバイトもしてねえとか、他のことは結構言うんだけどな。そしたら親方、さすが棟梁やってるだけあって器あるからよ、それ以上何も訊かなかったよ。それで俺に千円札一枚渡してさ、コンビニに弁当買いに行かせたんだ。戻ってきて親方に釣りと弁当渡したら釣りは俺にくれるって言ってさ、それから弁当持ってセイジにまた話しかけてた。
「食いなよ」
 そんだけ言ったらくるっ、て俺達の方に向き直って、さあ今日も仕事頑張ろうな、って笑うんだよ。格好いい、正直そう思ったね。何つうの、何も言わないからこそ格好いい、って感じたね。背だってあんまりでかくない筈の親方がクリント・イーストウッドとかハリソン・フォードなんかに見えたもんな。
 弁当渡されたセイジはしばらく遠慮がちに弁当箱見詰めてたけどよ、やっぱり空腹には勝てねえみてえで、すげえ勢いで食い始めた。確かシャケ弁当だったな、皮まで食っててああこいつやっぱすげえ腹減ってたんだな、って思った記憶があるからな。
 俺達はそんなセイジを時々横目で見ながら、仕事を始めた。特に俺は、やっぱり気になったんだよな、まるで昔の自分見てるみたいでさ。でも家出してシンナー吸うのは同じなんだけど、腹減ってからが俺と違ったね。俺は腹減ったら友達とかその家のメシに頼ったりして、結局最後は自分の家に戻っちまったんだ。だけどセイジは、強いよ。ブッ倒れても負けねえで、家帰んねえんだもんな。
 そんなふうにちょっと俺が感心してた頃、セイジは弁当食い終わった。それからどうすんのか、実は皆気になってたんだよな。ちょくちょくセイジの方ばっか見てて、ちゃんと仕事やってんのは親方ぐらいだった。そしたらセイジ、鋸引いてる親方に近付いてって、頭下げたんだ。
「ありがとうございます」
 いいんだ気にすんなそれより早く家帰ってやれよ、そう親方が笑って言っても、セイジは家には帰りません、って言ってきかねえんだ。何でだ、って親方がも一回訊いてみたらさ、あいつ、のうのうと言いやがった。
「ここで、働きたいんです」
 皆、一斉にセイジの方に向いたね。
 それからだ、
 俺があいつと一緒に暮らすようになったのは。

 親方も他のおっちゃん達も家族持ちだし、俺とそんなに齢離れてないってことでセイジはその日から俺の部屋に住むことになった。尊敬してる親方からタクヤこいつと暮らしてやってくれ、なんて頼まれたら引けるわけがねえよ。
 セイジはシンナー小僧だけあって、貧弱だったね。親方があいつも働かせてやるって決めてくれたその日も、材木も碌に持てなかったよ。セイジ自身それに気付いたらしくてさ、寝る前とかいつも腕立て伏せやってたな。それのお陰か仕事の方も日を追うごとにこなせるようになってったよ。幾ら人手不足だからって親方がこんな貧弱な奴雇うなんておかしい、って思ったけどさ、この一生懸命さを親方は見抜いてたんだろうな、きっと。
 その半面、俺とセイジの仲は進まなかった。だってよ、いきなりシンナー小僧部屋ん中に放り込まれてみろよ? 何話していいか判んねえよ。俺も昔はお前みてえでさあ、なんて先輩ヅラすんのも白々しいしな。だからあいつの方から話してくるのを待ってたんだけど、何にも話してきやしねえ。黙って腕立て伏せぱっかやってやがる。俺も少しは析れるか、と思って話しかけてみても、事務的にうん、はい、はあ、とか言うだけで碌な反応もありゃしねえ。
 それがまあ、二、三日だ。俺は馬鹿馬鹿しくなってさ、セイジがいるからって音量上げるの遠慮してた音楽をでかくしてかけたんだ。その頃俺は働いちゃあレコードばっか買ってたからな、すげえ量のレコードがあったよ。ドーナツ盤合わせて二、三百枚ぐれえはあったんじゃねえか? 当時はCDなんかまだ出てねえか、出たばっかの時代だったからさ、あとになってレコードいっぱい持ってる俺の立場はどうなるんだ、なんて馬鹿みてえに怒ってたけどな。そうそう、それで音楽好きの友達からこれいいぜ、って言われて借りたやつかけたんだ。忘れやしねえ。モット・ザ・フープルの『すべての若き野郎ども』だ。
 かけてみて、まずタイトル曲の「すべての若き野郎ども」を流したんだ。そしたら見事にグラム・ロックでさ、正直、あんまり気に入らなかったんだ。デヴィッド・ポウイのプロデュースだけあって奴のコーラスとか入っててな、しかもヴォーカルの声が妙に粘っこくて聞き取り辛え。でもイントロのギターは格好よかった。何だが淋しげな感じがしてな。悪くはなくて、ああやっぱ音楽って七十年代が一番だよな、なんて思いながらレコードのでかい歌詞カード見てるとさ――話してきたんだよ、セイジの方から。
「これ、アメリカのバンド?」
 部屋ん中であいつの声聞くこと殆どなかったから、俺ビビッちまって、躰ビクンとかしちまった。そうそう、肝試しとかでいきなり幽霊に出くわした感じだな。
 振り返ると、ぼんやり佇んでただけだったセイジが真剣な目付きになってた。俺は慌てて日本語の解説読み始めて、ええとええと、なんて気が動転してさ、やっとイギリスのバンドだって判ってそう教えてやった。よく考えたらデヴィッド・ボウイのプロデュースなんだから殆ど多分イギリスなんだけど。そしたらセイジ、そうか、なんて言って急に淋しそうに俺から目線外すんだ。
「本当ならこれは、イギリスに行って聴かなきゃいけないんだろうな。今はもう、イギリスまで行かなくても聴ける世の中だけど」
 それを聞いて俺は、何か無性に納得しちまった。俺みてえな中卒だって金さえ稼げば簡単にどこの国の音楽も聴ける、それはいいことなんだけどさ、何だか味気ないっていうか、大切な何かを失くしちまってる、そんな気がしたんだよ。まあ学歴も碌にねえ俺にはうまく言えねえんだけどな。簡単に言えぱ、セイジの言葉に感動したんだよ、俺は。だからこそ、俺の方からセイジに話しかけることができたんだろうな、素直になって。
「これはモット・ザ・フープルっていうバンドの『すべての若き野郎ども』っていうやつだ。俺も友達からこれ借りたから今日初めて聴くんだけどな、友達なんかはバンド名長いからモットって略してる」
 そこで少し息を飲んで、続けた。
「ロック、好きなのか」
 そしたらセイジ、首振って言うんだ。俺ん家は厳しいからロックなんて聴いたことがない、ちゃんと聴いたのはこれが初めてなんだ、ってな。そういや、あいつ俺にも誰にも敬語なんて碌に使わなかったな。確か、本当に尊敬できる奴じゃないと使いたくない、みてえなこと言ってたからな。そうか、だから自分を雇ってくれた親方にだけは敬語使ってたのか。
 セイジ、それきり目え閉じてじっとして音楽聴き始めてさ、俺も何だか邪魔しちゃいけねえな、って気がして、曲が終わるまで黙って解説とか歌詞とか眺めてた。でも、無性に話しかけたくて仕方なかったんだ、本当は。だから何言おうかすげえ迷って、でもなるべく簡潔な言葉にしようとか思ってさ、まるで惚れた女に話しかけるみてえな心境だった。何でこんなひょろっこいガキにそんな心配りしなきゃいけねえんだ、とは思ったけどさ、何か、うまく言えねえけどセイジと仲よくなりたかったんだよ。そりゃあ同じ部屋に住むんだし、親方からもよろしく言われてるってのはあっただろうけどさ、そんな無粋なことじゃなくて、何か、恥ずかしいけどこいつなら友達になれる、って思ったんだよな。
 俺、中学ん時はシンナーと煙草ばっか吸ってたから、碌に友達なんかできなかった。バイク仲間とかはいたけどさ、何かあるとすぐに離れちまう。そんなんじゃなくてさ、何て言うの、本当の友達が欲しかったんだ。
 音楽が、止まった。
 柄にもなく考えた未に、俺は言った。
「ロック、好きか?」
 セイジは、微笑んで頷いた。
 それが初めて見た、あいつの笑顔だった。
 俺はそれまでセイジに遠慮して、小せえヴォリュームで音楽聴いてはいたんだよな。ストーンズとか、ビートルズとか。ここらへんは有名どころだからあいつ何か反応するかも知れねえ、なんて思ってさ。そしたらあいつ、モット聴いてからこんなこと言ってたよ。
「ストーンズとかビートルズは名前も知ってるし、時々耳にすることもあるから変に馴染んでる気がしてあんまりいいって思わなかった。でもこれは、モットは――何て言うんだろうな、音楽ってどう表現すればいいのか、聴いてなかった俺にはよく判んないけど」
 少し黙って、少し笑って。
「すげえ、いいよ」
 それから急に、俺とセイジは仲よくなったね。セイジは俺がレコード聴く度にいろいろ質間してきてさ、どんどん賢くなってった。何だろうな、あいつ、吸収すんのが早えんだよな。仕事もそうだし、ロックもそうだ。俺が一番好きだったストーンズについてなんか、俺より詳しくなったんじゃねえのか? 知らねえ内に俺が教えられてばっかになったぐれえだがらな。多分あいつ、音楽雑誌とか一生懸命立ち読みしたんだよ。俺の教えてねえことすら知ってたし、でも雑誌なんか買ってこなかったからな。
 そうそう、あいつは雑誌とか、服とか、殆ど買わなかったね。生活するうえで最小限度しか。服なんか待に、だ。
「服なんてもともと寒さとか怪我とかから身を守るための物なんだから、生きていくうえでファッション・センスなんか関係ないよ」
 とか言ってな。
 うちは週払いだったんだけど、セイジは給料貰っても俺みてえに、っていうよりか俺以上にレコードばっか買ってんだよ。それがさ、ちっとぐらいロック知ってる奴なら笑えるぜ。セイジがよく買ったのは初期のデヴィッド・ボウイとかT.レックス、ハノイ・ロックスあたりだ。モットの「すべての若き野郎ども」の音に感激しただけあって見事にグラム・ロックにはまったんだよな、あいつ。しかもモットの他のアルバム買ってみて、グラムっぽくなくてびっくりしてたぜ。その点俺はグラムはそんなに好きじゃなかったからさ、化粧したり音の色使いが軽い感じしたからな、だから俺のコレクションの足りない部分補う感じになって丁度よかった。
 給料で馬鹿のひとつ憶えみてえにレコード買うセイジにさ、俺は家賃払って欲しかったけど、なかなか言い出せなかったんだ。何せあいつはついこの間まで行き倒れするような暮らしだったんだからな。でも、あいつから言い出したんだよ。家賃とか電気代とか半分出すって。メシ代は買い物行った奴のどっちかが払うことにした。ふたりとも料理うまくねえし、買い物だってお互いに任せっきりだ。俺もそれワリカンするほどせこくねえから、そこは適当だったね。まあお互いの料理の腕に閉口しちまって、殆どは外食してばっかりだったけど。
 そっから、何でもうまくいったね。セイジは俺が教えたロックと同じく土木作業にもすげえ熱心でさ、どんどん新しい仕事憶えてくんだ。何だろうな、まるで自分の進むべき道を見付けた、みてえな熱心さだったよ。倒れてた時にはシンナー臭えひょろひょろのガキだったのによ、いつの間にかいっぱしの作業員みてえな、筋肉の塊になってたよ。さすが親方が見込んだだけはあるよな。そんな奴がグラム・ロック聴くんだから結構笑えるよな。ものすげえギャップがあってさ。
 セイジはやっと仕事場でも笑顔見せるようになってさ、親方とも、おっちゃん達ともうまくいった。仕事終わってからみんなで居酒屋行って、親方がセイジにあれおめえ幾つだっけ、って訊いたらはあ親方俺まだ十六んなったばっかっすよ、なんて言って笑ったりしてな。
 それで部屋帰れば俺と夜通し話すこともしょっちゅうだったね。俺も誰かにモノ教えるなんて初めてだからさ、妙に嬉しかったんだよ。特に音楽の話できる奴なんて俺の周りにいなかったからさ。話してる内に解ったんだけどさ、あいつは、何つうの、少しイカれた音楽が好きだったみてえだな。ストーンズとか他の持ってるレコードも何でも聴いたけどさ、やっぱり気が付きゃモットのあのレコードばっか聴いてたね。確かにグラム・ロックは普通の、いわゆるロックンロールより入りやすいかも知れねえからな。どっかイロモノめいたところがあって目立つからさ、外人が相撲好きになるような感じ? うまく言えねえけどさ。
 でもあいつ、俺の大好きなストーンズも好きになってくれたんだよな。それでもモットとかボウイの方が好きなのは確かだったけど、少なくともビートルズよりは好きだったみてえだ。作業中によく「ギミー・シェルター」とか歌ってたからな。そこに俺が無理矢理ハモったりしてさ、楽しかったぜ。それであいつは映画も、特にあの意味わかんねえゴダールなんかが好きだったからさ、ゴダールがストーンズ使った『ワン・プラス・ワン』が発表された時なんか、あいつ喜んでたんじゃねえかな。そん時はもう、あいつは俺の部屋からいなくなってたんだけどさ。
 そうか、
 もう、そんなになるのか。

 俺とセイジの伸が悪くなったのは、あいつが俺よりロックに詳しくなって、しかも仕事まで俺よりうまくなった頃だった。
 俺は映画も好きでさ、仕事ねえ時なんかよくセイジ誘って映画観に行ったよ。あいつもよく映画観てたって言ったしな。そしたら、いつだったか、怒った子供が父親を殺しちまう映画があったんだよな。セイジがいやに真剣な眼差しで観てたんだけどさ、確か俺は退屈で寝ちまったんだ。
 映画館出てから、セイジが妙に黙ってんだよな。どうした? って訊いたら、タクヤ、これはお前を信じて言うんだけどさ、なんて言って話し始めるんだ。
「俺、親父殺したんだ」
 それきり俺は、何も訊けなかった。
 それでも半ば無理に訊き出した話によれば、あいつ、高校も行かずにプラプラしてるのを叱った親父殺して逃げてたんだ。もともとあいつの親父は親父ヅラするっていうか、とにかく厳しくていつか殺してやるって思ってたんだってよ。そこに丁度、親父の会社が倒産したんだってさ。それでもセイジは怒られてさ、従業員放ったらかしにして会社潰したくせに偉そうなこと言うんじゃねえ、って殺しちまったらしい。でも、俺はもちろん人なんて殺したことなかったから、何も言えなかった。それにセイジが、俺のできねえこともやっちまう人間だって思い始めてさ、俺の方から変に遠慮するようになっちまった。あいつが映画行こうって言っても断ったりしてな。
 映画っていえばさ、セイジはゴダールが好きだったって言ったろ? 俺にはさ、それが理解できなくて言い争いになったんだよね。レイト・ショーでゴダールやってたのをよく観たけどさ、まあ『勝手にしやがれ』は面白かったんだよ。だけど『気狂いピエロ』とかワケ解んなかったな。何だこりゃ? って思ったよ。そのあとゴダール、社会批判みてえなこと映画の中でやり出したからさ。俺、中卒で頭悪いから理解できなくてさ、でもセイジは興味深そうに観てるだろ? それがさ、やけに癪に触るんだよね。こいつ本当に解って観てんのかよ中卒のくせに、って思ってさ。
 あいつ、仕事も俺よりうまくなっててさ、俺、今思うとすげえ恥ずかしいんだけど嫉妬してたんだよ。後輩のくせに、俺と同じ中卒のくせに生意気だな、って。俺、中学ん時なんかそうだったんだけど、自分より優秀な奴がいると気に食わなくてたまらなかったんだ。小学校ん時なんか俺、要領だけはよかったから、遊びまくってもいい成績取れたんだよ。まあ小学校の成績なんて殆ど要領次第だからな。だけど中学入った途端に落ちこぼれよ。何せ分数の割り算が未だにできねえぐれえだからな。それでグレちまってよ、シンナーとバイクと女、あと音楽しか勉強しなくなっちまったんだよ。
 セイジだって似たようなもんだし、そのうえ中卒で親父殺しだろ? 俺、一応高校入ってはいたからよ、まあ適当な工業高校の機械科だし中退して土本の仕事始めたんだけど、だからまったくの中卒のガキが、って思っててな。大した違いねえくせにさ。
 セイジがいなくなってからやっと気付いたんだけどさ、俺、どうしても他の連中より上の立場でいたかったみてえなんだ。だからこそ音楽を教えられるあいつを気に入ってたんだし、あいつに逆に教えられるようになってから急に冷たくなっちまってさ。ついちょっと前まで、音楽のことで話せる相手ができたって喜んでたくせにな。メシだって俺よりあいつの方がよく作ってたしさ、馬鹿みてえだよな、今思うと。
 でもセイジは何も言わなかった。俺はまたそれが気に食わなくでさ、善人ヅラしてんじゃねえよ、なんて言って喧嘩ふっかけることがあったんだ――それが、結果的に俺とあいつの最後の夜だったな。それでもあいつ、俺に一方的に殴られるだけで手も出さねえんだ。それがさらに気に食わねえ。殴っても殴っても、じっと我慢して座ってるんだ――そん時の目付きが忘れられねえ。何か、全部の感情が混ざってるような、鋭いけど、どっか哀しそうな顔で俺を睨むんだよ。
 俺はそのまま、息切らして外に飛び出しちまったんだけどさ、もしセイジが俺に本気でかかってきたら、そう、もしも俺があいつに「親父殺し」なんて言って逆上でもさせちまった時には、俺、絶対負けてたな。腕なんか俺より太くなってたし、現場で見てても誰よりも力強くなってんだよ。それはあいつの頑張りによってできたのにさ、俺、やっぱり後輩のくせに、って思ってたんだよね。
 今考えると、そこで素直に謝ってればよかったんだ。
 それで少しだけ酔って部屋帰ってみたら、もうあいつはいなかったんだ。でもレコードは全部置いてあるし、なくなったものはどうもねえみてえだからあいつも頭冷やしてんだろう、って安易に考えたんだよ。帰ってきたら素直に謝ってみるかな、なんて考えてさ、珍しく俺が夕食作って待ってたんだよ。
 でも、あいつは来なかった。
 おかしい、そう思って俺は何かねえか、って探しまくったんだ。あいつがこのまま消える筈ねえ、とか直観的に思ってな。
 そこで目に入ったのが、あいつが初めての給料で買った『すべての若き野郎ども』のレコードだった。
 レコードのジャケットからレコード盤とか歌詞カードとかいっぺんに出してみた。そしたら、やっぱり出てきたんだよ、書き置きが。歌詞カードに挟んであってさ、ふたつ析りになってて「タクヤヘ」って書いてあるんだ。俺は急いで、それを開けてみた。
 見なくても、暗唱できるよ。

「俺の一番最初の友達、タクヤヘ。

 勘のいいおまえのことだから、俺がここに手紙を挟んだのはすぐにわかったことだろう。それだけ仲いいのに、どうしてだろうな、俺はもう、ここにはいられないって気づいた。俺っていつもこうなんだ。せっかく友達できたってのに、やっぱりダメなんだ。
 俺が親父を殺して逃げてる最中だってのは、話したはずだ。だから、いずれはこうなる運命だったんだよ。きっと警察が俺のこと探してるだろうし、最初から、こうなることは覚悟してた。だけど、正直に言えば、おまえのところから離れたくなかった。でもそうしてると、きっとおまえにも迷惑かかるだろうし、ここが潮時かと思った。警察に言っても言わなくてもかまわないけど、もし言われても、タクヤの通報だったら俺は後悔しない。俺はタクヤを信用してる。それでつかまったら、タクヤが俺はつかまった方がいいんだって判断したって思うことにする。
 いろいろ言いたいことはあるけど、これで最後にするよ。こんなこと書いてたら、いつまでたっても手紙が終わんないから。

 おまえは、俺のただひとりの友達だ。

サダオカセイジ」

 今でも、その手紙は持ってる。ヘタクソな手紙だけどもう何度読んだか解らねえし、今でも読むことがあるよ。その度にあいつを思い出して後悔してばっかりだからさ、俺がまた、思い上がりそうになった時に読むことにしてるんだ。
 結局、俺は警察に通報したよ。っていうか、どっから聞き付けたのか、警察がうちに来たからな。俺は親殺した奴の心境は解んねえけど、手紙読んでセイジは本当は自首したがってる、って思ったからな。ただ、その踏ん切りが付かないんだって思ったんだよ。
 そしたらしばらくして、うちに警察から電話があった。セイジを逮捕したってな。俺の証言が役立ったらしいけど、俺、微妙な心境だったんだよな。俺が警察に話したのは正しかったのか、ってな。そしたら警官がさ、セイジは捕まった時なけなしの金と、一本のカセット・テープしか持ってなかったって言うんだ。俺はピンときてさ、それを聴かせてくれってせがんだんだ。警官は明らかに面倒臭がってたけど、電話の向こうから聴かせてくれた。
「すべての若き野郎ども」だった。
 俺は受話器越しにそれ聴いて、セイジがいなくなって初めて、泣いちまったよ。

 ここまで話して、思い出したよ。
 何度目かの給料日にさ、あいつが俺に言ってきたことがあったんだ。あんだけ一生懸命働いて、これっぽっちの給料かよ、ってな。これなら銀行でも襲った方がよっぽど早い、とか笑って言ってたからさ、それじゃ捕まるじゃねえか、って言ったんだよ。そしたらあいつ、急に真顔になるんだ。
「金なんて、確実に入ってくるものじゃない」
 俺はセイジの親父が、会社倒産させたって聞いてたから何も言えなかった。でもさ、これも今思えばだけどさ、これも俺と最初に交わした会話のモットの音楽は本当はイギリスで聴かなきゃいけない、ってのと同じでさ、本当のことなんだよな。あいつ、最初っから俺なんかよりずっと頭よかったんだよ。
 そう、この間さ、俺んところに郵便が居いたんだ。丁度俺がおまえと結婚して引っ越す直前だったんだけど、小さな封筒なんだ。
 そん中に、何が入ってたと思う?
『すべての若き野郎ども』が録音されたカセットテープ、それと小さい紙切れだった。
 その紙切れにはさ、小さく、ひとことだけ書いてあるんだ――ありがとう、って。あいつ、俺がずっと迷ってるって気付いたんだろうな。実際そんだけ、仲よかったから。
 俺さ、それでも、どうしてもあいつに謝りたいんだよ。俺が警察にチクッたこととか、冷てえ態度とったこととか。とにかく全部のこと謝っちまいてえんだ。それからさ、俺もおまえと出会って現場の仕事辞めて、今の仕事始めたとかも話してえな。封筒にゃ住所も書いてなかったし、俺も引っ越しちまったから会えるかどうか判んねえけど、生きてりゃ、いつか会えんだろ。
 今度会えたら、今度こそ、本当に仲よくなれるよ。
 これで解ったか? 俺がこの汚ねえカセット・テープ棄てねえわけが。おまえは引っ越しん時からしつこく棄てろ棄てろ言ったけどさ、俺には一番の宝物なんだ。誰にだってさ、どうしても棄てたくない物あるんだよ。
 聴いてみたいか?
 よし、それじゃリビング行こうぜ。


(了)


inspired from Mott The Hoople“ALL THE YOUNG DUDES”
(1998年10月4日完成/原稿用紙28枚)


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