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スマホと空(くう)

私は世代的に、ダイヤル式電話からプッシュ式の電話、ガラケーからスマホ、ダイヤルアップ式のインターネットからADSL、そして光回線と、今や当然の環境を順々に体験してきた。
これを共感いただけるか分からないが、実はその中で私が最も地味に、そして大きく驚いたのは「パソコンのメールを街中でスマホから受信した」瞬間であった。
それまでの固定概念で、インターネットの情報は電気・ガス・水道のようにケーブルを通って出てくるものとイメージしていた。LANケーブルで繋がったパソコンから出てくるはずのメール文が、どことも繋がっていない空間からスマホを介してポンと出てきたのである。スマホが蛇口となって、空間から水が出てきたような不思議さだった。
私が受信した情報は、目に見えない姿で街のどこにでも漂っていて、スマホという装置によって好きな時・好きな場所で具現化できるのである。
更に不思議なのは、世界中の人々がやりとりしているすべての情報も同様に漂っていて、その暗号さえ知っていれば引き出すことが出来るのである。全ての情報が(当時の)3G電波圏内に存在してもいるし、導き出されない限りは存在していないのだ。

ここで発想を飛躍する。この世が空であるという仏教的な捉え方と、先の話しは似ているのではないか。この世には色もカタチも時間も存在せず、空と呼ばれるあまねく情報(上位概念)が漂っている。それを人間というブラウザが読み込んでビジョンを映し出しているのではないか。

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