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私がバンドの世界に足をつっこんだのは~ボーカルみうみう回顧録~

スタジオぐび梅田店が大阪市の区画整理の関係でまもなく閉店となります。
(今後は中津ぐび店1つで経営されます)
以前10周年ライブの時に書いた文章をそのままブログに残すことしました。
もしよければ読んでください☆


2002年の夏、そして自ら脱退


とあるオールディーズ&カントリーバンドでコーラスとして参加したのが初めてのバンドです。

初ライブも経験させてもらいましたがリーダーの方は私が「下手くそ」だと気に入ってなかったらしい。
5か月ぐらいが経った頃、ついにその状況に耐えられず自ら脱退。

向いてなかったんやと諦めたらよかったのに
なぜかあきらめずに次のバンドを探し、2003年にバンド加入、
ブラスもいる9人編成の洋楽バンドになり
ライブも経験するが活動1年足らずで解散。


懲りずに次のバンドを探す


まあしかし、今のように情熱があったわけではないのに、
なぜこんなに諦めが悪かったのかがわかりません(笑)
ちなみにバンドを探す方法はネットのメンバー募集サイトです。
なんせそういうバンドとかに無縁の人生送ってきてたので
知り合いがいるわけでもなく。。。

メン募サイトに自分のことを登録して、
「素人ですがボーカルとしてやってみたい。洋楽のカバーがやりたい」
と書いておくわけです。そして自己紹介も書いて、
それを見て何か感じてくれた方は連絡くれるわけなのです。


2004年夏、神戸の洋楽カバーバンドに加入

晴れてとあるバンドさんからお声がかかりました。
ギター、ベース、ドラムのいる神戸の洋楽カバーバンド。
(当時私はタイガースの聖地に住んでいました)
顔合わせに行き速攻加入決定、ワイワイ楽しくて、
大好きなジャンルのブルースロックやソウルをやることになりました。

そこで活動し始めて2か月ぐらいたった時でしょうか、
またメン募サイトを見たと連絡が入りました。

洋楽カバーやりたいと書いたはずなのに、なぜかその方からは
「昭和歌謡バンドをやります」とのことで・・・?


昭和歌謡バンドとの出逢い


もうすでに加入バンド決まってたのもあるし、ジャンルも違う。
その旨を丁寧に説明し、自身の加入希望記事自体を削除しました。

しかし
なぜかその方は二度、三度と連絡くださるのです

先方はギターさん。さらにギターが一人とベースの3人。
とのことでした。
「昭和歌謡は日本のブルースロックですよ」という言葉は
ある意味名言として私の記憶に残っています!

なんとなく思うことが自分の中にもあったんでしょうか、
ここまで誘ってくださるのなら一度お会いしたらいいやん!と
思いました。
ジャンルが違うということも、ある意味勉強になるしと。
そして梅田のマルビルのスタバで待ち合わせするのであります。

んが。


間もなくスタジオぐび登場


先方さんの姿に気付いた私は、一度は
「このまま帰ろう」と思いました(笑)
なぜなら、短いながらもバンド活動してきてたこの2年足らずで
全くお会いしたことのないタイプの方々だったからです。

簡単に言うと「普通のサラリーマンのオジサマ方」だったから
激しく戸惑ってしまったのです!

しかし帰る前に見つかってしまいお話を聞く事に。

「ボーカルとドラムを新たに探しています。
一度音合わせしませんか。
ドラムとは先にこないだ一度合わせてみました。
ドラムがスタジオを経営してる方で、そのスタジオを使わないと
いけないですが、ぜひ来てください。
中崎町にあるスタジオぐびというところです」

もうこうなったら社会勉強じゃあ!と思い、
まあなんしか音合わせだけでも行ってみよう、と決意。

2004年11月、初めてスタジオぐびの門をたたくのであります。
そしてぐびに入った瞬間に思ったのです。
「早く帰りたい!」と・・・・笑


以上がスタジオぐびと出逢うまでの経緯でした!!
読んでくださった方ありがとうございました☆☆

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