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スタジオぐびと喜多直弘と出逢う

スタジオぐび梅田店


初めてぐびに行ったのは確か火曜日の夜。

ぐびをご存知の方は想像できると思いますが、
モノがあふれた昭和な待ち合い室、
今スタジオから出てきたバンドさんとご訪問者などもいらっしゃって
とことんカオスな状態しかも男性ばかり。

そんなところに新参者が顔出したらそりゃーもう、
ものごっつい注目度なわけですよ。
「誰?」「誰?」というのが皆さんの顔に出てるわけです(笑)

今まで行ったことのあるスタジオと全然違う雰囲気に卒倒寸前。。。



喜多直弘登場


そして待ち合いの一番奥には、マッシュなんかボブなんかわからん髪型でレトロな眼鏡かけて口ひげをはやした少々(←優しさ)小太りな男性がオーバーオール(!)着て座ってる。。。。。。。

今度はこっちが「え、ダレ系?」と思う番です
当時は「大木凡人」てよく言われていましたね(笑)

まあでも私も当時31歳、きちんと挨拶はいたします。
大木凡人さんが「あーあー!はいはい!なんちゃらかんちゃら(あとは覚えていない)」また声もデカい。え、マジ年齢不詳。
知ってる人誰か早くきてー!とヘンな汗かきながら
入口の隅っこに小さくなって(るつもり)座っていたら、
やっとこさ先日お会いした3人が来られて。。!

梅田で会った時は「逃げよう」と思ったのに、この時はこの3人が救世主のようでした(笑)

ようやく前のお客様が帰られて、待合室には5人になり。
この大木凡人さんが、例のドラマーで「喜多直弘さん(当時38か39)」だと知りました
えーマジかどひー!

アコGさん(G二人いるのでアコGさんとエレGさんにします)から彼はプロのドラマーさんだと聞いていたので
「やっぱプロは何かが違うんやなあ、、、いろんな意味で
と思いましたね・・・。


衝撃の音合わせ!!


さっそくスタジオに入り、課題曲3曲を合わせていきます。

「北国行きで」「ハドソン・リバー」
そして「どうにもとまらない」

ハドソン・リバーはアコGさんがメインVoで私はコーラス。
バンドのコンセプトがツインVoスタイルだったようです。

音合わせが終わったら帰ろう、うんとにかく帰ろう、すぐに帰ろう!
ずっとずっとそう思っていましたが、
いざ音合わせしてみたら、
大木さん、あ、いや、喜多さん、、、、、

なんだコレ!?

むっちゃくちゃ上手い!!!!!!!!

それまでたった2年足らずのバンド活動でしたが、
私は当時のバンドメンバーから
「プロでもアマチュアでもいろんなライブできるだけ見た方がいいで。たくさん見てるうちに、自分がどんなんがしたくてどんなんがイヤか見えてくるから」とアドバイスを受けていたので、
結構な数ライブ観に行ったほうやと思います

(ちなみにこのアドバイスは後の私を作るベースになりました!感謝)


とはいえ見てきたバンド数はしれてるかもしれませんが、
それでも、上手い!全然違う!
鳴りが違うというんですか?わからんけど!!

すっかりテンションが上がって、
大コーフンの2時間はあっと言うまに過ぎました。

ええ、最後までおりました(笑)


続ける?続けない??運命の選択!!


喜多さんの見た目とプレイのギャップにひっくり返った大興奮のスタジオが終わり、待ち合いに出て、
まあその時はすぐに答えは出さずにお別れして。

喜多さんはこの日がこのバンドで2回目の音合せだったらしく、
前回は別のボーカルさんと合わせたそうでした。

さて。。。

昭和歌謡はやりたかったジャンルではないし(今となっては信じられませんが)、もうすでに1つやってるし(結局2006年が明けたと同時に解散するのですが)どうしようかなと思いましたが、

1つの答えは出ていました

「どうでしたか?どうしますか?」というアコGさんからの連絡に、

 『あの人がドラムされるんなら、私もお願いしたいです』

ということを返事しました。もし喜多さんと一緒にやれたら、ジャンルを越えて絶対勉強なると思いました。

そして後日知りましたが、喜多さんからアコGさんへの返事も、

 『彼女(私)がボーカルするんなら僕ドラムやりたいです』

というものだったそうです!!!!!!!!
いやーこれにはびっくりしました!
鳥肌立ちました! あ、嬉しくてです(笑)


すぐに帰るつもりが気づけば丸17年


2002年初加入したバンドには「下手くそ」と言われ脱退。
でも2003年加入したバンドのメンバーには、解散する時
「あなたにはかなりのポテンシャルがある。ボーカルやめたらあかんで」
と言うてもらえて、おかげでくじけずに続けれて。

そして2004年、スタジオぐびと喜多直弘氏と出逢い。

プロのドラマーさんにそんな事を言うてもらえたことに
強く励まされました。
これも後で知りましたが、まぁ歌唱力云々ではなく、なんしか面白そうと思ったということらしいですが←間違いなかったと思われます!笑


ということでこの日をきっかけに、気づけば現時点では丸17年の付き合いになりますか!!!ひえー!娘生まれてたら女子高生やん!

かなりお世話になってるし、耳の痛いことも言うてくれる、
文字通り叱咤激励、それこそ本気で怒らせたこともあり…怒ると怖い…静かに怒る…

しかし基本的には私の”私らしい部分”を楽しんでくださり、
歳の差は7つしかないですがほんまに”お父さん”みたいな(笑)

そんな我々がメンバーを入れ替えて「風船うさぎ」として動き出したのは出逢いから約1年後、なんでかいうたら出逢った矢先に私が妊娠→結婚したからですテヘッ!

できちゃったを打ち明けた時のメンバーの驚愕ぶりが忘れられません(笑)
それでもクビとかにせず、「産んだらまた戻ってきたらいいやん!」
言うてくれたのも喜多さんでした。

一年後風船を作るとき、最初に出逢った3人さんのうちのBの方も参加してくれました。それが風船うさぎ初代ベーシストの中根ケンゾー氏で、東京に転勤なるまで実に8年近く一緒にやってくれたのでございます。


ということでした!
梅田ぐびがなくなるのん、ホンマはめっちゃイヤですー!!!笑

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