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《ジゼル》の音楽 ②アダン
前回は基本的な情報と、振付と音楽における確認事項を書きました。
今回は、《ジゼル》の音楽にフォーカスするための第一歩、作曲者アドルフ・アダンについてです。
アドルフ・アダン Adolphe Adam ( 1803-1856 )は 、 パリ音楽院のピアノ科教授の父を持ち、父の弟子であるエロール Louis-Joseph Ferdinand Hérold( 1791-1833 )の影響で幼い頃から作曲家を目指していました。
以下、簡単な年表です。
17歳(1820年)
パリ音楽院入学。
ボイエルデュー François-Adrien Boieldieu( 1775-1834 )に作曲を師事。
26歳(1829年)
オペラ=コミック座デビュー
33歳(1836年)
バレエ《ドナウの娘 La Fille du Danube 》でオペラ座へ進出
45歳(1848年)
オペラ=コミック座の新監督バセとうまくいかず、オペラ=ナショナル座を新設したが、1年経たずに革命の影響などから閉鎖
多大な借金をかかえたアダン。
・すべての印税を借金返済にあて、
・執筆活動を始め、
・パリ音楽院の作曲の教授に就任し、
・バセがオペラ=コミック座を去ると同劇場に復帰し、
1852年、借金を無事全額返済します。
ほっとしたのも束の間、
1856年、世を去ります。
晩年も精力的に作曲し、死の4日前まで新作が上演されていました。
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参考文献はニューグローヴ世界音楽大事典の「アダン」の項目です。
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アダンといえば、《ジゼル》ですね。他には1856 年初演のバレエ《海賊 Le Corsaire 》でしょう。
オペラ・コミックでは《ロンジュモーの御者 Le postillon de Lonjumeau 》でしょうか。
他にも、クリスマス・キャロルとして人気のある《さやかに星はきらめき O holy night 》はアダンの作曲です。
アダンはその生涯において、バレエ14 、オペラ・コミック34 、オペラ3 、ヴォードヴィル26 、その他多数の作品を残しており、多作家であったことが窺えます。
また、ヴァーグナーの自伝『わが生涯』中にはアダンの名前が2度登場しています。
[1度目]
イタリアおよびフランスのオペラに情熱を傾けていた当時人気絶頂の劇作家、カルル・フォン・ホルタイ Karl von Holtai( 1798-1880 )が「ベリーニ、ドニゼッティ、アダン、オーベールのオペラのスコアを全部ひっくるめて取り寄せていた。」(172ページ)
[2度目]
「クシェレフ伯爵が認めるのはアドルフ・アダンのオペラの類のみ 」(220ページ)
このことから、アダンは当時、オペラの作曲家としても、それなりに名を馳せていたと考えられます。
以上がアダンという人物の概略と、その評価です。
アダンがバレエの作曲家としてはどのような評価を受けていたのかも気になるところですね。次回は、そのあたりについて書いてみようと思います。
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