なぜ独学で勉強しても司法試験に受からないのか(2)

 随分間隔が空いてしまいました。こんばんは。アプリの方に通知があり、「スキ」やコメントを頂いたことがわかりました。少し気が向いたので、書いてみることにします。

 だいぶ前に書いた記事で、僕は、

「なかなか受からない受験生は、論文式でつまずいており、その原因は裁判プロセスを知らないからだ」

 というようなことを述べました。

 裁判プロセスというのは、「裁判所がある事実を認定し(当事者からすれば、裁判所に認定させ)、その事実を法律にあてはめ、法律が定めた一定の結果を導き出す」過程のことです。

 これは、結構大事なことなので、常に心のどこかに置いておいてください。。

 今回は、受験生が勉強をしていく上でやってしまいがちなロスを一つ取り上げてみたいと思います。それは、科目を勉強してく順番です。

 ほとんどの受験生は、司法試験の科目というと、まず憲法から学び始めると思います。

 僕は法学部に行ったことがないのでわからないのですが、だいたい最初に学び始めるのが、いわゆる憲民刑の3科目のようです。そして、憲法といえば、すべての法律の上に立つ基本法ですから、最初にやっておくべき、ということなのかもしれません。

 ちょっとショッキングかもしれませんが、僕はこれが受験勉強をやる上では最悪の方法だと思っています。

 のちほど、記事を変えて、各科目の特徴を順々に述べていきますが、今夜はまず、「なぜ憲法を最初に学んではいけないのか」ということだけ、端的に述べておきたいと思います。

 ちょっと皆さんに聞いてみたいのですが、実際の生活の中で、憲法って使いますか?

 もっと言えば、法律相談で、憲法の条文が出てくることってあると思いますか?

 僕個人の感想でいうと、時々ではあるけど、あります。

 しかし、法学部生が思うように、いきなり人権がどうの、なんとかの自由がどうの、ということではありません。

 ここを読んでいる方は、多分法律学を多少なりともやっている方、または、やっていた方だと思うので、「剣道受講拒否事件」という、憲法判例になっている裁判を思い出してください。

 皆さんは、これが出てくると、「ああ、確か新興宗教の信者が、剣道の授業を受けさせるのは信教の自由の侵害だって主張したやつだろ?」という感じのことを思い浮かべるかもしれません。

 しかし、司法試験に受かりたいというなら、そういうレベルで留まっていてはいけません。

 じゃあ、細かい判例の文言を思い出さないといけないのか?とか、下級審の判断内容も覚えてないといけないのか?と思った人。いるかもしれませんね。

 残念ながら、そういう思考方法でいると、いつまでも合格できません。

 私は、皆さんに、さっさと実務家になってほしいので、はっきり言っておきます。

 僕がこの事件の資料や判例評釈を見るなら、「これって原告が何を請求したんだろう?」というところから入っていきます。

 原告が裁判所に求めたのは、学校の下した原級留置処分(つまり、留年させること)の取消しでした。

 ここで、憲法しか勉強していない人は、おそらく固まってしまったのではないかと思います。

 「それ憲法の話じゃなくないか?」

 と思った方は、なかなか鋭いと思います。

 実は、剣道受講拒否事件というのは、司法試験科目でもある「行政法」でも扱われているのです。

(というか、この事件は憲法上の権利が主張されたものの、実際は行政裁量の行使にあたり考慮が十分尽くされていなかったという理由で取り消しが認められています。)

 剣道受講拒否事件だけではなく、実は憲法で出てくる有名な事案の多くが、行政訴訟といわれるものです。

 それにもかかわらず、皆さんは「行政法」を習う前に、憲法を習っていますよね。

 僕の私見でしかありませんが、これは正直非常にまずいと思います。

 だってそうでしょう?

 弁護士や検察官、裁判官が活躍する場所は裁判所の法廷ですが、その裁判所で行われている裁判プロセスというのは、「裁判所がある事実を認定し(当事者からすれば、裁判所に認定させ)、その事実を法律にあてはめ、法律が定めた一定の結果を導き出す過程」でした。

 そのプロセスを完全に無視して、憲法上の自由だとか権利だけを取り上げても、何がなんだかよく分からないんじゃないですか?

 もっと言えば、実際に憲法上の権利がどこでどういう風に出てくるものなのか、下手するとずっと分からないままなんじゃないですか?

 そして、憲法の場合、裁判のプロセスというものを知ろうとすると、どうしても行政法の知識がないといけなくなります。

 ちょっと憲法をやったことがある人なら、「『石に泳ぐ魚』事件は民法の不法行為だぞ」と反論してくるかもしれません。

 しかし、それにしたって民法の裁判プロセスが分からないといけないことには変わりありません。

 つまり、憲法をいきなり学び始めると、民法や行政法の知識がないままに事案を読むようになるので、どうしても裁判プロセスから離れたところで知識を習得していかなければならなくなります。

 日本では、憲法のことを語りだすと、政治学や人権思想、哲学のようなこと、はてはフェミニズムのような単なる個人の思想信条のようなものを喋りだしてしまう人が多いのは、法律を学ぶときに一番最初に憲法を学ぶからなのではないかと疑ってすらいます。

 司法試験に受かりたい人がやらなければいけないのは、そういうものではありません。

 あくまで、裁判プロセスの中で、憲法上の権利をどう使うかという問題に過ぎません。

 社会派の先生方や、デモや抗議活動が大好きな方々には悪いのですが、所詮人権も、当事者を勝たせるために用いる道具の一つに過ぎません。

 ただ、憲法が国家に対する命令規範なので、殆どの場合、国家の行為(行政機関がした処分や、国会が作った法律など)に対して戦いを挑むときに使うことになるのです。

 しかし、それをきちんと理解するにしても、そもそも行政訴訟の進め方や勝ち方、あるいは民法を使って自分の権利や利益を実現する方法を知らなければ、話にならない、ということです。

 ここまで見てきて、鋭い方ならわかってしまったのではないでしょうか。

 そうです。

 「憲法は、一番最後に勉強するのが正しい」

 ということです。

 正しいという言い方に語弊があるのであれば、「一番ロスが少なく、理解が進みやすい」といってもいいかもしれません。

 そして、憲法に対して、裁判という権利実現の場を離れ、なにか呪術的なまでの思い入れをすることを避けることもできるようになります。

 今日はここまでにしておきますが、次も司法試験・予備試験の科目で、何を勉強していったらいいかという話をしようと思います。

 皆さんが自由にカリキュラムを決められるとしたら、何法から学んでいくほうがいいと思いますか。

 ここまで読んできた方なら、少なくとももう「憲法」とは思わなくなっていると思います。

 それでは、またお会いしましょう。さようなら。


 

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