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「仕事と江戸時代・武士、町人、百姓はどう働いたか」

「仕事と江戸時代・武士・町人・百姓はどう働いたか」戸森麻衣子著・ちくま新書2023年12月発行

著者は1975年生まれ、東京農大非常勤講師、専門は日本近世史。「江戸幕府の御家人」などの著書がある。

著者は、現代日本の働き方の源流は、明治時代、産業革命以降の資本主義導入過程の中で形成されたのでは全くない。戦国時代から解放され、社会的・経済的発展、貨幣制度の成熟を背景に、多様化・細分化した江戸時代の労働事情が、その源流の中心にあるという。

本書は、江戸時代のあらゆる階層の働き方を掘り起こし、「働き方の視点」から江戸時代の歴史的存在を見直した書籍である。そこにあるのは、現在話題のジョブ型雇用、メンバーシップ型労働組合の問題でもある。

その根源の一つに江戸時代の住み込みによる年季奉公から始まるの商家の共同体志向がある。もう一つ、農民においても年貢の村請制度、村全体の共同責任による年貢納付制度がある。

江戸時代は、武家、商人の「家制度」とも重なって江戸幕府、個別の藩全体が一つの生活共同体志向を持つ。武士、町人、百姓、物乞いの弱者までが複合的に成立した社会である。武士は一つの身分であるが、公務員の前段階的仕事の性質も持つ。

江戸時代後期の人口は約3,300万人、うち百姓が80%以上、町人が6%、士族が3.6%、足軽・小者が2.6%、宗教者1.2%である。江戸は100万人以上が居住する大都市である。うちで町人が約55万人、旗本・御家人武士が2万3千家。これに大名の江戸住まい武士、家族を含めると、3割が武家関係の住民になる。

江戸時代の百姓は貧困層と思われるが、それほど貧困ではない。理由は、年貢徴収の元となる検地は綱吉の時代の1回しか実施されなかった。その後200年間放置されていた。五公五民と言っても、検地台帳は虚構化していた。

農民経済の発展は、木綿、煙草、藍、紅花などの栽培加工で農民の収入は多様化し、貨幣制度の進展で年貢の現物納付から、金銭納付に移行していた。綿花収穫時には、近隣小作百姓を手間取り(アルバイト)で雇い、手伝いをさせた。資料によると、草取り作業3回分で2朱支払ったとある。2朱とは1両の1/8、現在の価格で約1万5,000円、草取り1回5,000円となる。

さらに幕府治水工事の賃労働、河川運送船頭労働、陸上運送「中馬制度」の馬借労働など、農業以外の副業の多様化、専業化が生まれつつあった。

固定化した武士身分制の制度矛盾が行き詰ったのが明治維新である。それに戊辰戦争など偶発的出来事が重なった。明治以後、農村は製糸業、紡績業による手工業から機械工業に変化、農村の困窮化が進む。江戸時代の余剰労働が資本労働に変質した結果である。

松沢裕作著「生きづらい明治社会」は言う。江戸時代の村請制度が消滅し、生活の相互扶助共同意識が後退して、貧富を「自己責任」に転嫁する考え方が生まれた。結果、貧困層が最も影響を受ける。それが明治という「生きづらい社会」であると。

現在流行の「自己責任論」、生活保護制度に対する差別意識は、江戸時代にあった「共同体的働き方」から明治時代の「個々への働き方」へ変化した結果である。それは「働き方の負の側面」ではなかろうか?

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