僕がカレー屋をやっている理由

思い出話になります。どうぞお付き合いください。

〔はじまり〕

2010 年の冬、もう 10 年も前、新卒で仕事の覚えが悪く、精神と身体を擦り減らしなが ら頑張っていた頃。ふらっと一人で立ち寄ったカレー屋で、ひとときの開放感を味わって いた時になんとなく書いた「カレーショップをオープンさせる。」という一言。

今思うとあれは「心からこぼれ落ちた言葉」だったのだと思う。

〔個人事業主〕

時は流れ 2017 年冬。会社を飛び出して「carpo」という名前で個人事業を始めた。当時、流行っていた DIY と言う言葉が僕の心をわしづかみにしていた。最初は 木工家具の製造ラインで働いていた経験を活かし「日曜大工の先生」を事業テーマに据えて いたのだけど仕事がない日が続いた。「Do it yourself」それでも唱え続けたこの言葉は思想 のある魔法の言葉だった。直訳すると「自分でやってみよう。」1950 年代。戦争で傷ついた イギリスで広まった言葉だそうだ。

仕事はない。時間はある。「何でもやってみよう。」とお困りごと相談をやるようになっ ていた。いわゆるなんでも屋にいつの間にかシフトしていた。家具の修理や製造に始まり、 網戸や障子の張り替え、塗装、壁紙、ベタ基礎の打設や庭木の剪定など依頼があったこと は断らずにやった。すべてやったことのないことではあったがお客様が喜んでくれるくらいにはできていたと思う。(※この事業は今も続けている。)

〔行動と結果の果てに〕

ある時、偶然知り合った木工作家さんと手作り品のイベントを主催することになった。 野外のフリーマーケットで地域のスーパーを巻きこんで大きなイベントになりそうだった ので、食べ物も出したいという話になった。

これは本当に偶然なのだが、このタイミングで、僕が小学生の頃から家族ぐるみの付き 合いがあるネパール人「モヒニさん」が家に遊びに来ていたのだった。

「イベントやるならカレー出すといいよ。売れるよ!」とモヒニさん。

彼女は貝塚や狭 山池などのお祭りで 300 食を 30 分で完売させたパワフルなママさんであった。

そして、レシピや作り方、スパイス、すべてをモヒニさんから頂いて、イベントでカレ ーを売った。カレーも作れるようになった。これが今マカリイで出しているチキンカレー の原点だった。

「行動すると結果が出る。結果が出ると次の行動が生まれる。」

「Do it yourself」から始まった僕の一人旅はいつの間にか一人ではなくなり始めていた。

〔出会い、縁〕

あるとき、イベントを一緒に主催した木工作家さんがお堂の境内で DIY を教えるイベントを主 催するとのことで見に行くことになった。そのお堂が素敵だった。そこがオープンして間 もないお店、泉北にあるお堂を改装したアコースティックライブハウスバー「MA-A-NA」 さんだった。

マスターの寺脇さんと話しをしていると「なんか企画があるならうちを使ってみて。」と のボールが飛んできた。「このロケーション、お堂でネパールカレー!面白い。」そう思っ た僕はさっそくモヒニさんに連絡を取り、ネパール料理会を開催した。2018 年の 6 月頃の 話である。

世間では「間借りカレー」という言葉が生まれていた。トントン拍子に話は進みいつの 間にか毎月一回、間借でカレー屋をやることになっていた。それもそのはず「カレー屋をや りたい。」と心の奥底に秘めていた僕にレシピと場所がそろったのだからやらない方が不自 然であった。

この「MA-A-NA」さんを間借りしたカレー屋は毎月開催させてもらった。

ほぼまる 1 年 10 回くらいやらせていただいた。

振り返るとここ数年「縁が縁を生んでいる。」と思う。

出会いに感謝。

ある時、何でも屋のお仕事で訪問したお客様から「僕の会社の 1 階の喫茶スペースが空いていてもったいない。何かできない?」とお声がかかった。「カレーならできますよ。」 と僕は即答した。そして梅田で「宿借りカレー屋マカリイ」が生まれることになったのだ。

〔まとめ〕

ながながと昔話になってしまいました。

「Do it yourself」まずは自分でやってみようから始まって

「行動は結果を生み、結果は行動を促す。」

そして「人との縁」

この 3 つでマカリイは生まれたというお話で した。

最後までお付き合い頂きありがとうございました。

当店スタッフタイさんや仙人、みゆうちゃんとも縁があったのだと思います。その話は またいずれ書きます。そして今マカリイの定番でお出ししているチキンカレーとキーマカ レーについてもまたいずれ書きたいと思います。

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