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投影日記

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美しいものも醜いものも。目に映る世界は自分を映す鏡。
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#日記

悲しみを力に

悲しみは力になるか。 昨日の記事で、親友を失った悲しみにふれた。理論的には分かっている。「悲しみ」は人から力を奪うけれども、周囲の人から助けとなる行動や感情を引き出す。でも、周囲にわかるように悲しみを表さなかった場合はどうなるだろう。 悲しいことがあると明るく振る舞おうとするのも、わりと自然な反応だ。でも、力を失っているのだから、1人になればガス欠でよけいに沈む。 僕は親友を失ったとき、身近な人と悲しみを共有できなかった。これはなにもゲイに限ったことではない。彼の死を知

続・壊れるものがリアル

自分で書いておきながら、昨日の記事が気になってる。特に以下の部分。 これが僕のリアルな世界での作品第1号。これまでネット上に作品を残してきたけど、ひとつも「リアル」な形を持っていない。僕にとってデータはリアルではない。質量を持たないものはリアルではない。お化けに近い。枠のない世界は魅力的だけれども、永遠の命のように虚しさがつきまとう。壊れるものがリアル。コピーできるものはリアルではない。 15年前、仕事のデータやら写真データやらの入ったiPodをまちがえて初期化してしまっ

合わせ鏡|鏡せわ合

今日は9時には寝ようと思ったら、今ちょうど9時だ。仕方がない。9時半に寝よう。 近所の人から大輪のアジサイをいただいた。パートナーのオッサンが持っていた緑色の大ぶりな花瓶にはじめて花を生けた。濃いみどり色の丸い花瓶に、薄みどり色の丸いアジサイが奇跡的にいい感じだと思った。 夕方、僕がワンコの散歩から戻ってくると、テレワークを終えたオッサンが竹原ピストルの曲を大きな音で流していた。 とかく忘れてしまいがちだけど とかく錯覚してしまいがちだけど 例えば桜やらひまわりやらが

収穫するにはまだ早い

noteを書きはじめてそろそろ2週間がたつ。今日はなにを書こうかと思って、気負っている自分に気づく。表現しようとして何かを探すのは違う気がするのだ。先にもやもやした何かがあって、それを表現するのがいいと思う。 文章を書くよりも先に、載せたい写真を自分のスマホのアルバムから探したら、今日はなぜかゴーヤを選んだ。庭になっているゴーヤだ。僕がnoteを書いてるこの2週間に、すくすくと大きく育ったのだ。 日々、慣れない仕事や試験勉強をこなしているけど、やってることが実を結ぶのだろ

ゾンビパキラ

名前はパキラだったか。何年前にわが家へ来たのか分からない。5年ぐらい前かもしれない。いや、もっと前かもしれない。パートナーのオッサンが買ってきたのか、もらってきたのか分からないが、所有権はオッサンにある。 ずっと小さな鉢に植えられたままだったから、いつも小さな葉っぱが1つ2つ付いているだけだった。オッサンは完全にネグレクトしていて、肥料をあげたことは無かったと思う。時々僕が気まぐれに水をやるぐらいで生き延びてきた。栄養分を吸い尽くされた土はスカスカだった。すべての葉を落とし