見出し画像

日本の裏側で起きた、3.11

2019年3月11日

僕はいま、チリのサンティアゴにいる。
去年は、香港の空港にいた。

そして8年前は、宮城県の実家にいた。

世界中どこを旅していようと、あの日は忘れない。
忘れることができない。

なにを書こう。
なにを伝えよう。

なんだか、言葉が浮かんでこないのだ。
想いが溢れているのか、想いが強すぎるのか。
あの時なにががあったかなんて、つらつらと語る気分にはなれそうにもなくて。

チリと、日本と、地震

今から60年ほど前、1960年にはチリで観測史上最大(マグニチュード9.4)の地震が発生した。その被害は、チリ地震津波として日本にも影響し、全国で142名の犠牲者を出すこととなった。

そして3.11は、ここチリでも起きていた。

東日本大震災の余波が、17,000km離れたこの国まで被害をもたらしていた。チリ沿岸部のプエルトビエホという街では、幸いにも犠牲者こそいなかったものの、150軒の家が津波の被害にあったそうだ。

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)のマグニチュードは9.0で、観測史上4位という大地震。それによってチリでも、4mの津波が押し寄せることとなった。

日本だけの、東北だけの災害ではなく、世界中で被害が起きていたことを、8年経って初めて知った。世界一周をしていて、たまたまこのタイミングでこの国にいなかったら、一生知らなかったことかもしれない。

自然と人間

僕らはどうしたって、自然には勝てない。
ビジャリカ火山の麓プコンの街は、2015年の噴火で3,000人以上が避難した。地元の人に当時の話を聞いたが、火山灰の影響で三日三晩真っ暗だったそう。雪のように積もった灰をスコップでまとめても、すぐにまた積もってしまっていたらしい。

チリも、日本も、災害大国だ。 それと同時に、自然とともに生き、たくさんの美しさを持っている。

自然と共生していくことは、癒しと畏れを孕んでいる。美しい海も山も川も、時に恐ろしく無慈悲だ。
それもすべて、あの日から学んだことだ。

いつでも災害は起こりうるから

地震はいつでも、前触れなくやってくる。

3.11だけが特別ではなく、あの日を忘れないというのは、日頃からいつ来るかもわからないが、準備をしておくということだとも思う。
地震が来たら、次は余震や津波の警戒。
台風の情報は先にわかるし、雨だって対応できる。

自分の身は自分で守る。本当に、守ってほしい。自分だけは大丈夫ではない。自分だけじゃない、大切な人を守るためにも、いつでも災害は起こるんだと思ってほしい。東京地震来るかもなぁ、と笑ってないで、本当に頼みます。たまたまこのnoteを見た人だけでも、「ちょっと、災害が起きたらどうするか考えてみる」その一歩にしてほしい。

✈︎

世界中で旅をしながら、被災地への応援メッセージを、黄色いハンカチに書いてもらっている。

僕にとってすごく、意味のある世界一周。

必ず帰国して、被災地の空に掲げる。

#東日本大地震
#311


パッキングが得意というかスキです。