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「取り残され感」について。

締切におわれている笹渕です。
バケツまみれ交換ノートもいよいよ3周目です。ほかの人たちがここまで凝ったおもろいnoteを書いてくれるとは正直思ってなかったので、とても感謝してます!やりたいって言ってみるもんですね。

3周目はそれぞれがなにかテーマを設定し、そのテーマをもとに集まれるメンバーでちょっと話して、さらにそれをもとにnoteを書く、ということをやってみたいと思います。私たちがどんな感じで作品作りをしているのか、少しでもそこから感じ取っていただければと思います。

こういう書き出しをするとまた笹渕が真面目なことを書いてると言われちゃうのかなあ。読んでて退屈じゃないですか?今回は楽しく読めるように頑張ります。

さて、今回のテーマは「取り残され感」についてです。「取り残され感」とはなんでしょうか?遡ること4月…オンラインとオフラインで集まったバケツまみれメンバーはなにについての演劇をやるのかを決めるために、今考えてること・思ってることをそれぞれ発表し合いました。その時に何人かが共通して感じていたのが「取り残され感」です。「正規のルート」みたいなものから自分が遅れてしまっているなという感覚のことです。たとえば、恋愛トークになった時に持ち合わせる恋バナがない、周りの人が就職していくなかで自分は就職していない、というような状況で感じることが多いようですね。私たちの世代に関しては、COVID-19による世界的な足止めがあったので(まだ終わってないですが)より時の流れのような何かに対して感じ方が違うのではないか、という話も出ました。以下の図がそのミーティングでとった私のメモを清書したものです。

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そもそも時間の流れが加速しているように感じる中で、「正規ルート」に乗り切れない人たちが足止めをくらって「取り残され」ていた現状があるのではないか。そしてCOVID-19によって全員足止めになり、「正規ルート」の夢が壊されてしまう人が多かったのではないか。さらに状況が回復しないまま「正規ルート」をとり戻そうと動き始めた時の流れにより、人々の「取り残され感」は増大しているのではないかと…。
この「取り残され感」についてもっと考えたいねってことで、今回公演のテーマのうちの一つになってます。

今回テーマを「取り残され感」にしたのは、最初のミーティングから半年近くたったバケツメンバーに「取り残され感」について考え方が変わったか?新しい発見が創作過程のなかであったか?ということを話したかったからです。とりあえずざっくばらんに今「取り残され感」について思ってることを話してもらいました。

信國「完全に、わかりました。」

信國も完全にわかったとのことなので、さっそくどういう話し合いが行われたか書いていこうと思います。

信國のターン

信國(みーひろ)は4月時点で、「取り残され感」があることから人ごみ(=社会)に対して怖さや申し訳なさを感じると言っていましたが、今は全く感じなくなったそうです。なぜ?
いろいろ活動し始めたら自分も人ごみの一部だと気づいたそうです。平日に駅前の店に行く抵抗感もなくなったらしい。

信國「それに「今日が休みなんですよ」って気持ちで外を練り歩いてるな。あんまりねり歩かないほうがいいんですけど…」

「取り残され感」はあるにはあるけど、みんな取り残されているならまあ一緒か、と思うそうです。それと最近はやることが山積みだそうで、時間の流れが速いくて怖いとのこと。恐怖のあまり至極まっとうなことを言うみーひろ。

信國「お金を稼ぐのに時間を使うじゃん。バイトが終わったらその時間はたってるわけじゃん。」

今はやりたいことが多すぎて「お手玉状態」になっているそうです。実際にお手玉の動きにも挑戦してみたとのことですが、どういうこと?お金のために時間を使わなきゃいけないという悪循環を解決するためには好きなことを仕事にするしかないんじゃないか、でもそうもいかないよね、うーん。

信國「でもこれ、みんな知ってることだな…」

まあみんなが知らないことを見つける方が大変ですからね。次いきましょう。

森安のターン

森安(もりみっちゃん)は「正解のルート」を実践している人は少ないという気付きがあったそうです。女性と言われる人たちには就職、結婚、出産…というような「正解のルート」が想定されますが、各段階でみんな「取り残されて」いて、実は最終的に正解のルートにたどり着く人はいないのではないでしょうか。森みっちゃんは、求める正解のルート自体がもう古いのではないか、と言います。その気づきがあってから「取り残され」がちょっと怖くなくなったそうです。そもそもその「正解のルート」を求めること自体、多様性が認められるようになってから減ってきているのではないでしょうか。他方で、みんな(バケツメンバー)との「差」を感じるそうで、森みっちゃんはみーひろのように時間が早く過ぎていくと感じることはなく「一日一日をどう過ごすか、という段階にいる」とのこと。バケツまみれの活動やそれに伴うタスクを一人で焦ってこなしていってしまうことに、逆に他のメンバーを置いていってしまってるのではないかと心配しているそうです。私からしてみればそれってすごくありがたいし、めっちゃいい人ですけどね!?

森安「バケツの息抜きにバケツしてるからな…」
笹渕「どゆこと!?」

他のメンバーはバケツと何かを両立していて、森みっちゃんにはバケツくらいしかすることがないから(?)どんどん仕事が消化されていく。その集団の優先順位は人それぞれだし、そこが集団活動の難しいところですが、そこからそのずれが産まれちゃってるのかもしれませんね。でも森みっちゃんが進めてくれなかったらバケツまみれ第四回公演はきっとどこかで破綻してました。本当にありがとう。

森安「前は10個くらいのこといっぺんに考えられたんだけど」
え、聖徳太子じゃん…違うか…?

坂井のターン

笹渕「じゃあ晴さんお願いします」
坂井「って言ってもねえ、特にないんですよねえ」
笹渕「そんなことある!?」
坂井「別に俺、取り残されてるって思ったことなくて、ひとはひと自分は自分じゃん」

そうなのか…。
坂井(はるさん)は「取り残され感」が勘違いなんじゃないか、そう思っちゃう社会形態が問題なのではと言います。多様性と言いつつひな形があるし、晩婚と言いつつ30中ごろには結婚するし焦ったりする人が多い。主語が大きくなってしまうが、そういうことを社会全体で認められるようになるといい。確かに、「正解のルート」やそれに伴う「取り残され感」は勘違いなのでは?というのがみーひろにも森みっちゃんにも共通して言える考え方ですね。

森安「ひろみ(信國)も、みんな取り残されているのでは?って言ってたしね」
信國「うん、みんな取り残されているから、みんなおんなじところにいる」
森安「取り残される分野はひとそれぞれかもしれないけどね」

また、焦っちゃうのは「俺たちの弱さ」とも言っていて、自分のことを好きになるのは難しいけど認められたらいいとのこと。晴さん自身も自分のことは好きではないし他人に好かれているとも思わないけど、自信がないわけじゃないと。

坂井「他人が自分にどう接してくるかは他人の責任だし」
森安「晴さんのそういうとこ好きだわ」
坂井「他人が俺のことを嫌いなのは俺の責任じゃないわけよ」
信國「うわ、いいな~」
森安「いいよな~」
信國「これなんだよホントは」

晴さんも完全にわり切れているわけではないそうですが、このマインドを目指したいですね。

森安「笹渕はどうなの?」
笹渕は…

私もこの半年を経て、メンバーと同じように「取り残され感」は社会形態によって作り上げられた幻想でしかないと思ってます。社会によって「正常」なものの幻想が作り上げられて、それの当てはまらない人が少数派かもしれないけど「取り残され感」を感じるという構造があると思ってます。じゃあ「取り残され感」やそれを産出する社会構造にどういう態度で立ち向かっていけばいいのかというと、その点をこの作品でうまく示せていけばいいなと思います。そこは楽しみにしておいてください!

ということで、私は「取り残され感」について改めてきけて満足しました。台本執筆がんばります。


では最後に質問コーナーです。おざれからの質問は「人生で一番古い記憶って何ですか?」でした。一番古いのが何かは分からないんですけど、何度も思い返していくなかで洗練された「古い記憶」が私にはありまして。たとえば引っ越す前のアパートのベランダで月を見ながら聴く母の子守歌や、リビングでおしゃぶりの先っぽをハサミで切られて泣いたこと、とかですかね。あと保健センターとか。小さい頃見た夢とかもまだ覚えてる気がしますね。

じゃあみーひろへの質問。最近夢は見ましたか?どんな夢?

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