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個人的な宮崎駿ブームと、『君たちはどう生きるか』のこと。

半年くらい前だっただろうか、宮崎駿のドキュメンタリーを、ずーっと見ていた。最初に見たのは『もののけ姫はこうして生まれた。』だが、その次に『ポニョはこうして生まれた。』を見て、その生々しさにやられて、どっぷりはまった。

『ポニョは〜』は知っている人は知っていると思うが、全部で12時間半のおそろしいドキュメンタリーである。しかも、撮影している荒川さんという人が、宮崎駿に説教をされまくる内容で、途中で怒られすぎていったん撮影をやめたりもする。とにかく生生しい。見ていて自分が怒られているようで、キツくなるような内容でもある。ただ、ずっと見ていると、宮崎駿は面倒見がいい人というか、荒川さんとのあいだにつながりがちゃんと生まれていって、意外と後半は、ガンガン説教(?)をする宮崎駿の姿も心地よく感じられてくる。また、このドキュメンタリーは「仕事中に流し見している」という感想の人もいて、それはけっこうよくわかる。宮崎駿はとにかく真剣で、おそろしく働き続けるので、刺激を受けてこちらも働きたくなるのだ。

まあ、そんなことがきっかけで、宮崎駿のその後のドキュメンタリーも大量に見た(荒川さんは『ポニョ〜』がきっかけで、宮崎駿のドキュメンタリー担当みたいになって、その後もいっぱい制作の動画をとって作品にしている)。あとはそのつながりで、見てなかったジブリ作品を大量に見たし、さらには高畑勲のドキュメンタリーとかも見た。ジブリ美術館も行った。あと主に鈴木敏夫さんが出しているジブリ関連の本も相当読んだ。面白かった。

ああそうだ、最初に『もののけ姫はどう〜』だと書いたが、それよりも前に『君たちはどう生きるか』があった。宮崎駿のことがとにかく気になりだしたいちばんのきっかけは、『君たちはどう生きるか』である(自分にはすごく面白かったし、2回見た)。そこから「宮崎駿という人って、その思想って、どういうものなんだ?」ということを少しでも理解したくて、ドキュメンタリーにハマったような気がする。

また、いろいろ見たあとで『ポニョ〜』などと同じ荒川さんが作った、『君たちはどう生きるか』の裏側のドキュメンタリーなどもNHKで放送されていたので、それも見た。たしかNHKプラスで3回とか見た。

で、しばらくして自分のなかの宮崎駿ブームは終わったのだが、振り返ってみると「あれはなんだったんだろう?」と思う。ぼくは何をわかりたくて、とにかく大量にいろいろ見て、そのあと、結局その時間のなかでなにを得たんだろうか? ちょっとそれを考えてみたい。

ひとまず、『君たちはどう生きるか』については、自分のなかでは『手描きアニメーションってすごいよ!』という作品として理解している。考察とかもいろいろ出たし(ほぼ読んだ)、そこに当たっているところもあるんだと思うけれど、自分にとって、そこで受け取ったいちばん大事なメッセージは「手描きアニメっていいよね!」だった気がする。全部を手でちゃんと描くことによる、美しさ、説得力、気持ちよさ。そういうことが誰よりも得意な人が、その力を惜しみなく発揮して、7年とかの時間をかけて1本作ったんだから、そりゃあすごいに決まってる‥‥みたいな作品というような気がする。「解釈」のほうをみんな言いたがるし、「解釈」をわかることが作品をわかることだと思っている人はわりといるけれど、解釈で済むのであれば作品をつくる必要はないわけで、やっぱり「絵、すげえ」「絵、すごかった」というのが自分のなかでは正しい向き合い方、という気がしている。それでいいと思う。ドキュメンタリーを見ても、とにかく宮崎駿のいちばんの凄さは「絵のすごさ」ということも思ったし。

で、自分のなかでの宮崎駿ブームというのはなんだったかというと、やっぱり「説明できない凄さを持つ作品ってどんなふうに生まれるんだろう?」が、なにより気になっていたことのような気がする。で、その答えというのは、簡単には言えないけれども、受け取ったメッセージとしては結局「一所懸命やるんだよ」ということのような気がする。早道なんてなにもない。とにかく一所懸命やるだけ。それがいちばんのコツ。そして、一所懸命やったかといっていい作品になるとは限らないが、一所懸命やるしかない。そうしないとはじまらない。ものすごく当たり前のことだし、前々から「そうだろうなー」と思っていた結論でしかないのだけれども、それを、あの、おそろしい仕事量とおそろしい本気さの宮崎駿が言い、そして体現しているのを追体験させてもらった‥‥というだけでも、すばらしい経験だったと思う。

だからいまも思い出すのは「ヘボはつくりたくない」みたいな言葉とか。「ああやっときゃよかったってことが絶対ないように」とか。「ワンショット見た瞬間にこれはすばらしいってそれが映画だと思ってるから」とか。
そういう言葉を、ガーーーンと大量に浴びさせてもらえたことは、やっぱり自分の土壌にとってすごく大事な経験で、なにかわからないけれど、未来の自分に変化をもたらしていると思う。

で、不思議というか、「ああ、自分の興味はやっぱりこっちなんだな」と思ったのが、いろいろと調べているとき、最初は鈴木敏夫さんの言葉もけっこう面白かったのである。戦略とか、どうやって人に広めていくかとか。宮崎駿さんの奥さんとかも「鈴木さんがいたから今があるんだ」みたいな話をしていた、というのを、たしか宮崎吾朗さんの言葉かなにかで聞いた。‥‥ただ、途中からなんだか、鈴木さんの語るジブリの歴史のほうは興味がなくなってしまった。ジブリをつくり、広め、大きくし、成り立たせていったという手腕は見事で、鈴木さんがいたからいろんなことが面白くなったし、いろんな作品がある‥‥ということは深く感じつつ、ぼくはやっぱり絵コンテをこつこつ描き続ける宮崎駿のほうに、自分がなりたい「はたらく姿」のようなものを見たんじゃないか、と思う。役割の問題として。

で、やっぱりそれで『君たちはどう生きるか』なんだと思う。このタイトルについても解釈はいろいろあると思うが、もうこれは映画なんだから「観た俺がどう受け取ったか」で考えてよくて、「次の世代のおまえもがんばれよ」ということだと、ぼくは受け取っているし、それでいいんだと思っている。宮崎駿が自分に対して「おまえもがんばれよ」と言ってくれてる‥‥という解釈は、ご本人がどう思って、どうタイトルを決めたかとか関係なく、ぼくのなかで「完璧に正しい解釈」であり、これでいいんだと思う。

つまり「宮崎駿に自分が応援されてるように感じられた」ということこそが、きっと自分のなかのジブリブームの正体で、「うわぁ、宝物もらっちゃったよ‥‥」という感じである。

で、実はぼく自身でいうと、そんなふうに「この作者からのメッセージが自分に直接ビンビンに届いた!」みたいな経験は多くない。ほんのたまーーーーに「このメッセージ、自分がいちばんわかる!」みたいなことが無くもないけれど、基本的にはぼーーっとした人間で、あんまり文化受信感度が高くないタイプという気がしている。

だけど、そんなぼくにも「自分がメッセージを受け取った! このメッセージは自分に向けて発せられていた!」と感じられた。それはもう、なんだか『いやあ、すげーことだなあ‥‥』と感じている。世界中にぼくと同じように「これは自分に向けられたものだ!」と感じた人がいるのだと思うけれども、その一人として、感度の低いぼくは「いやあ、自分にも届いちゃったよ‥‥」と感激して、きっとこれからも『君たちはどう生きるか』は(大量のドキュメンタリーを含め)自分にとって大切な作品でありつづけるんだろうな、と思う。