見出し画像

「空目(を)する」日々

老眼鏡のお世話になって何年でしょうか。

元々視力はよくて、2.0を超えていましたので、若い頃は眼鏡とは無縁の生活をしていました。しかし、いや、だからかもしれませんが、老眼は早くやってきました。

文字はまだ前後の文脈があるので、少々見えなくても推理が効くのですが、数字は降参するしかありません。
「3と8と6と9」はもはや天敵です。

濁点と半濁点の違いも老眼には判別が難しいことがあります。特に聞き慣れない外来語やネットスラングの場合は、類推さえ効かないことがあってお手上げです。
例えば「レスバ?レスパ?」最後の文字がba なのかpa なのか、老眼ではもう区別がつきません。そして意味もわからないので、解決のしようがないのです。(ちなみに、正解はbaの方で、ネット上の返信でバトル=口論になることを指すネットスラングだそうです)

このように、文字(あるいは文字列)を見間違ってしまうことを、「空目(を)する」というようです。ネット上で広がっている用法とのこと。
「そらめ(をする)」という表現自体は、古くから日本語にあるようです。現代では使われなくなっていましたが、「空耳」からの類推で新しく広がったのではないかということでした。

もうアラ還ですので、「空目」「空耳」とは仲良くしていくしかないか、と半ば諦めの境地です。「おーい、またやっちまったなあ」と自分に声をかけながら、落ち込まないようにしていきたいと思います。

追伸:「空目」という表現に気づいたのは、あーーのさんの記事でのコメントのやりとりでした。こちらの記事にネタとして使ってよいと許可をくださったあーーのさんに感謝しています。
その記事はこちら