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失敗の本質 日本軍の組織論的研究 戸部良一ら著 読書メモ

積読より。一年半くらい前にナレッジマネジメントを必死に勉強してた頃にブックオフで見つけた。著者にナレマネの大家である野中郁次郎先生が入ってたので買った記憶。
そして、著者のリストの最後が野中先生なので、論文的な感覚だとオーサライズした人かな?とか思って読んだ。

なんと1984年の本であり、日本の失われた30年を経験する前に書かれた本だった。

本としては太平洋戦争のいくつかの戦闘の経過を辿って判断と結果の因果を見ていき、良い結果を産む組織の特徴を考えていくというもの。というか、ダメな組織の特徴を分析してるかな。

まず、自分としては大して内容を知らなかった各戦闘を知れただけで面白かった。
ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦。
インパール作戦は何となくYoutubeの歴史動画系で牟田口中将がヤバいというイメージだけ先行して持っていた。坂の上の雲の伊地知さんみたいなイメージだった。
沖縄戦はさとうきび畑などドラマで見たことあるが特にテレビ局のイデオロギー的なイメージ操作に使われてる印象が拭えない。
つまり、冷静にファクトだけを捉えるなんてしたことはなかった。

沖縄戦はこの本で取り上げられた戦闘で唯一、現地指揮官たちがまともな判断を行った事例だったんだなと知れて、予想外で驚いた。

最後にサマライズされている日本軍の失敗の本質とは、

“組織としての日本軍が、環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することができなかったということにほかならない。
戦略的合理性以上に、組織内の融和と調和を重視し、その維持に多大のエネルギーと時間を投入せざるを得なかった。
このため、組織としての自己革新能力を持つことができなかったのである。”

とのこと。

最近、遅ればせながら両利きの経営を調べつつあるんだけど、日本は本当に知の深化ばかり得意。知の探索が本当に出来ない。これが、前半部分。そして後半は無駄なプライドを優先して実利を捨てるメンツ主義な所が、つまり今の世の中でいうと権威主義や田舎的な旧態依然とした思考、儒教的な所が出てしまったのかなと。

後半は組織としては大分緩和されてきた気もするけど、SNSとかで我儘放題してる極論を言ってる人たちが正にこれを強く継承してる。
多分、人間の本質には、努力を欠いたり特定の環境に染ったりすると、そういう全く合理的でない思考が染み付いてしまうのかなと思った。

前半は今も変わらず日本は抜け出せてないと感じる。本書の文庫化あとがきに以下がまとめてある。

“それでは、なぜ日本軍は、組織としての環境適応に失敗したのか。
逆説的ではあるが、その原因の一つは、過去の成功への「過剰適応」があげられる。
過剰適応は、適応能力を締め出すのである。
(中略)
このような自己革新組織の本質は、自己と世界に関する新たな認識枠組みを作り出すこと、すなわち概念の創造にある。
しかしながら、既成の秩序を自ら解体したり既存の枠組みを組み換えたりして、新たな概念を創り出すことは、われわれの最も苦手とするところであった。”

この過剰適応。まさに日本らしさであると感じる。
日本の文化や教育に深く深く組み込まれていると感じる。ノンバーバルコミュニケーショに強いのもある種の過剰適応かなと思うので悪いことばかりではないと思う。
しかし、日本人はこの良い点を残しつつ、今の思考から脱却できないときっと人口減少によって大きな衰退を経験することになると思われる。

個人的にはこの根幹には日本の小中高の学校のシステムやKPIの古さがあると思ってる。
テストの点を取れるように暗記学習をすることの先に何を狙ってるのか?この目的意識の欠如こそ、本書にあった日本のダメな所。

将来の夢を聞いて職業を答えさせるのも凄くおかしな話。職業は手段であり目的ではない。何をなすのか?がない。

これ、自分も完全に思考に型ができてしまって中々抜け出せない。これを変えないといけないと思ってる。

この本の話、自分はサッカーが好きなのでJリーグを観てて凄く当てはまると思ってる。
Jリーグには和式と呼ばれるプレー原則のようなものが根付いていて、外国人がJリーグに来ると困惑する。
まさにこの本で言ってる過剰適応を果たし、個々人の異様な曲芸的なテクニックで組織的な欠陥をカバーして、本質的な目的への適応を放棄していると感じる。

これを書いてる本日2024年3月31日。
徳島ヴォルティスが監督と強化部長の解任を発表した。
個人的な贔屓チームはヴィッセル神戸と栃木SCなので、まぁ他所のチームのゴタゴタという扱いではあるんだけど、徳島ヴォルティスにはサッカーというスポーツを戦略戦術で楽しむ人には期待の星だったという所があると思う。

徳島はここ数年、スペイン人監督を招聘し、サッカーという競技を長期的に見て優位に戦っていけるクラブ作りに着手していた。
リカルドロドリゲス監督のもと、J1に昇格を実現しトップチームは充実の時期を迎えていたし、スペインのラ・リーガプリメーラのラレアルことレアルソシエダと提携し、スペインのサッカーの文脈を下部組織にまで注入し始めていた。
しかし、リカルドロドリゲスが浦和に引き抜かれ、その時の核だった岩尾も連れていかれてしまい、垣田も抜けて、後任のポヤトスも頑張るもガンバに引き抜かれ、チームとしての骨格を都度都度壊されてしまっており、まだまだ下部組織からのチームのサッカーを体現する選手を出せるほど時間が足りてない状況で成績が伴わなくなり、3人目スペイン人監督のラバインが昨シーズン末に解任されてしまった。
そこで全てが狂い、残留に貢献した吉田達磨監督が続投していたが、今シーズン始まって未勝利の最下位。そしてリカルドロドリゲス時代からチームのサッカーを体現していた栃木SC出身の西谷がチーム批判と内紛状態になって本当にしんどい状態だったと思う。

これは、まず自分がこの本と関係してると思った所として、クラブとして取り込むべきスペインの文脈というのを本質的には理解してなかったのだろうと言うこと。
組織内には恐らく優秀で志高い人が居たはずだが、結局はトップのコミットが間違っていたんだと思う。良い時は適当にお任せで上手くいっていたが、落ち目になった途端にボロボロに逐次投入をしてしまう。
ラバインへの対応と吉田監督の就任は沖縄戦かな?って感じ。

神戸も昨年優勝という最高のシーズンを過ごしたが、ここ数年はバルサ化という合言葉の元、大迷走をして降格が見える所まで行った。
これも、結局何を持ってバルサ化とするのか?バルサといえばティキタカというイメージ先行で結局は三木谷会長はじめ、フロントの理解が恐らく方法に寄ってしまい、いわゆるゴールデンサークルのwhyやwhatの部分が具体化、共有されていなかったんだろうと思っている。
リージョやフィンクの時代は凄くワクワクするサッカーでフィールドを構築していたが、補強が伴っていおらず、具体化されないありたい姿を全員が理解することはできなかった。

トップのコミットがめちゃくちゃ重要なことがわかるが、そこにさらにトップがコミットすべきありたい姿を明確に理解していることか必要条件となることもまたわかる。
結局、神戸はそのありたい姿自体を日本サッカーの文脈でもわかりやすいもの(和式)に修正した。秀でた個人技と個人個人の献身性で相手を局所即効的に制圧して力で勝つというもの。
これならお金さえ積めばわかりやすく良い選手を選ぶことができる。
恐らく徳島にこの選択をする経営的余裕は無さそうなので、このまま行くと昨年の大宮の二の舞になりそうな予感。

しかし、この和式の何が良くないと私を含め言われているか。これは人によって少しずつ違うとは思うが、やはりサッカーというゲームを本気で攻略しようとしていないと感じる所かなと思う。
サッカーは11対11の相手のいるゲームである。当然、相手によって、そしてその時々によってプレイ選択の最善手は変わるもので、それをチームとして常にベターな選択を積み重ね、ゴール前までボールを運び、シュートをいい状態で打ち点を取る。また、相手にそれをさせないのが勝つために必要なこと。
この当たり前のことが和式では抜け落ちているように思う。
なんとなくパスを繋ぎ、何となく守備をする。綺麗なキックの蹴り方とかトラップの上手さ、際どいタイミングでのぶつかり合いの強さなど、その方法を洗練させることにばかり心血を注ぐのは、まさに手段の目的化であり、知の深化であり、過剰適応である。
それを洗練させて何に活かすかの具体的なビジョンはない。

最先端のフットボールを探求するペップのマンチェスターシティは、パスを繋ぐサッカーをしてるが、それによって相手を動かしてスペースを作るのもあるが、相手の攻撃の時間を減らし、相手を走らせ疲れさせるという狙いもあるように思う。シティは80分前後くらいに逆転で勝つ試合も多いのはその辺があると思う。
これだけ対策されても勝ち続けるのは、こういった誰が出ても同じ狙いを持ってプレーができ、体力でなんとかする相手もサッカーの90分というルールをきちんと使って勝ちに行ってるからだと思っている。
ある意味今年J1で旋風を起こしている町田はその考え方に通ずるゲームハック的なものを狙っているからこそ強いんだと思う(昨年の栃木SCがギオンスタジアムで勝った時に、スポーツマンシップにもとる行いをされたので全然好きじゃないけど)。
Jリーグの価値が上がらないのは、まさにこの辺の所なんだと思う。浦和は期待したけどダメっぽい。ガンバと広島が今年どうか?が期待のポイントだと思う。
そうでないと、ピーキーな色物の使いにくい選手としてしか海外で活躍出来ない、市場価値のつけにくいリーグという位置付けが変わらない。
日本で今、洋式を体現できてるのは恐らく冨安と守田くらいでしょう。あとは優秀な監督に上手に使ってもらえている印象。

とにかく、コンセプトが明確でそれに向かって連動して機能しているチームは見ていてワクワクする。サッカーの魅力はこれに尽きるなと感じるので徳島は残念だし、日本も変わっていってほしい。
まずは、サッカーをリーズナブルに捉えた時に当たり前となる考え方を選手たちに標準インストールする所から始めないといけない(ヨーロッパでは育成で身につけるもの)。

さて、久しぶりにめちゃくちゃ長い読書メモになってるけど、あと少しだけ。

この過剰適応について。
日本軍の最大の凄さが現場の個人個人の優秀さというのがあった。それが故に組織的な仕組みを改善しなくても少し無理すればなんとかなってしまった。
これってさっきの日本サッカーの話もそうだし、日本企業にもそのまま言えると思う。
優秀な現場がデスマーチでなんとか無茶を実現してしまう。
そして仕組みが改善されない。これが本質から目を背けさせる悪手なんだろうなと感じる。
これって日本の文化な気がして、なんとかならないかな。。

Twitterで見たなるほどと思った内容に、「残業できるのも与えられた才能」というもの。
優秀な訳でもないのに、残業で成績を嵩上げするのは、それが家庭や体力の事情で出来ない人を不利にする。結果能力で人を評価していないことになると。結構グサっときた。ダイバーシティを本当に推進するなら、この点も考慮したKPIにしないと進まなそう。
もう一個、「ほどほどでウェルビーイングに生きられる仕事は必需じゃない仕事」というもの。日本は本当に素晴らしいライフラインが揃っていてサービスが手厚い。
結局はこれも、現場が無理を重ねてブラック化しているが故なのだろう。
コンセプトなき継ぎはぎの手段の選択。本当に緊急自体なら頼もしさだが、これが常態化してしまうのが日本のヤバさなんだと思う。
これは、結局日本の教育が違和感に気づき探索的に思考することを強化しないために、新しい概念構築する人材がコンスタントに育たないからなんだと思う。

さて、長くなったけど、自分のためにも日本が良くなってほしい。そのためにはトップダウンが良い方向に機能するよう、仕組みを変えていける方向性を模索したい。

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