回顧

思えば、『道化』としての自分はどこで生れたのだろう?
僕という存在は一体どこで『普通』ではなくなってしまったのだろう?
本当の自分を見つける鍵はそこにあるのかもしれない。
少し昔を振り返ってみようと思う。

僕は北海道のしがない田舎に生まれた。
家は大した規模でもない家族農家だった。
そこの長男として僕は生まれたのだ。
僕のヒトとしての最古の記憶は、生まれたばかりの僕が母の実家から、
母と共に父の生家まで引っ越して来た日まで遡る。その日は快晴で家の居間に座った赤ん坊の僕は、銀に光る無地のトラックから下ろされる母の荷物
それを運ぶ父や母を見つめていた。それが僕の原始の記憶である。

次の記憶だ。それは中々に愉快なもので、
家の田んぼの用水路に落ちた僕を、両親が笑いながら見下ろしている様子だ。その時の僕は仰向けに用水路に沈み、上から笑いながら僕を見下ろす両親を見上げていた。今思えば助け上げるべきだ。
そうは思うがなぜか両親はそうしなかった。
大人になった僕はそれを母に問い詰めたことがあるが母曰く、

『沈んだまま、目を見開くのが面白かった』
ということらしい。

なんともまあ、我が母ながら薄情なことだと思う。
断りを入れておくが、別に私は両親から虐待やネグレクトを受けていたわけでは決してない。
そも、風変わりな親であったことは違いないのだが。

そんなしがない田舎だったので入る学校の人数もとても少なかった。
小学校で精々百数人で、中学校に至ってはその半数だ。
なのでクラスメイト達も幼稚園から中学卒業までほぼ変わらない面子であり、全員が幼馴染のような関係であった。みんな仲良し、ずっと一緒。

そうは行かないのが人間関係である。
小学校2年から5年までの間、僕は恐らく虐められていた。
恐らく。というのも自分のことなので可笑しなことだとは思うが当時の自分はそれを虐めと認識することが出来ていなかったのである。

『アイツに触ると○○菌が移る』

丸には自分の名前が入るのだが、このように言われクラスメイトの全員が自分を避けていた。他にも休み時間のドッチボールでは優先的に狙われ、遊びに誘っても直前で知らんふりをされ、みんなが共有している話も自分だけしらない何てことはザラにあった。
虐めの定義というものが明確になっているかは僕の知るところではないが恐らく今の時代ではこれは虐めに該当するのではないかと思う。
では、なぜ。当時の僕は虐められていた自覚がなかったのだろうか。
それは僕の生来の能天気さが働いていたからだ。
ここまでされても、自分が嫌われ避けられていると自覚することができなかったのだ。ただ、とても寂しく悲しかったのは覚えている。

普通に接するのでは誰も僕を見てくれない。
そんな風に考えた僕はとある日に振り切れてしまった。
○○菌が移ると逃げる友人に対して、

『逃げろ逃げろ!移してやるぞ!』

こう言って友人たちを追いかけまわした。
友人たちは逃げまどい、僕に暴言を吐いた。その一つ一つに律儀にも僕は返答をした。

『死ね?いいよ、百万円くれたら!』

『汚い?じゃあ洗ってよ!』

色々とネタを考えて振舞ったりもした。
当時流行っていたハリーポッターのワンシーンの物まねを披露したり、授業中に腹踊りを始めて笑いをとったりした。
僕はその日からいわゆる、『ネタキャラ』になったのだ。

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