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恋の行方・・・

 馬鹿な私には、「恋」について語る資格はないと思っています。
 しかし、残り少なくなった人生を考えてみると、幼い時、少年、青年の時代の異性に対する感情を思い出すのも一興でしょう。

 この文章を書こうと思ったのも、先日故郷に帰って、故郷の雰囲気、人情に呼びさまされたからです。
 私は、父が戦死したこともあって早く自立をしなければならないと考えていました。そして、出来るのならば立身出世を考えていました。生活費に困らない職業につくこと、また勉強のできるところと考え税務会計の道に進みました。

小学校から中学、高校と意識した女性がいました。
美人で、頭がよく、裕福なお家のお嬢様でした。高嶺の花でした。
  今の時代では、臆することなくしばしば話しかけることもでき、遊びに行くこともできたでしょう。しかしながら昭和の30年代のこと、とてもとてもそんな雰囲気はありませんでした。また、当時異性に話しかけることには非常に勇気がいりました。
東京に就職してからもしばしば彼女のことを思い出していましたが、等々結婚されてしまいました。失恋したのです。
 
その後私も何回かの見合いを行い、今の妻を得、子供2人を得、現在では2人とも独立し、老後の幸せな家庭を築いています。何らの不満もなく、ただ妻に感謝するのみです。

ところで、初恋の女性に対する感情は如何なったのでしょうか。今日の主題はこのことです。確かに若い時の感情、思いはいくら歳を重ねたからといって忘れられるものではありません。歳をとっても思い出すことはあります。では、彼女と結婚していたと仮定したとき、本当に幸せな家庭が築けたかどうかは別問題です。友人より現在の彼女の生活状況を漏れ聞いてみると、相変わらず裕福であるようですが、私と性格があっていたのか疑問であり、むしろ結婚しなくてよかったのではないかと考えています。淡い(?)恋で終わったことですが、私の人生では思い出の残るものです。

 私は、賭け事(賭け麻雀、競輪、競馬)が嫌いであり、異性に関しても男女関係になることは私には絶対できません。現在は、前立腺がん手術により男性機能を失ったのですから行おうと思ってももうできませんが。
 ただ、人生を楽しく過ごそうと思って他人(同性、異性)に対しては、思いやり、やさしくするべきだとおもり、またそのようにしています。これによって、異性からは勘違いされることが多くて困っています。異性は、親切にされるとすぐ男女関係を考えるのでしょうか。そのくせ、男女平等を主張するのですよね。

 ただ言えることは、女性の気持ち・考え方がどうしてもわからないのです。性の違いが、どうしても出てくるのでしょう。女性は、不思議な生き物であることを実感し、そのように考え、納得しています。女性から見ても、男性を馬鹿な私の考えと同じようにみておられるのでしょうね。

一生独身で過ごす人、初恋の異性と結婚し、幸福な家庭を築いている夫婦、また、何回も結婚・離婚を繰り返した夫婦、種々あって、人間の人生とは何とも言いようのない不思議なものですね。
                               20200922記述

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