病気について
最近ようやく気づいたのだが、スキゾイドパーソナリティ障害かもしれない。
「Schizoid」とは「統合失調症の」や「統合失調症のような」という意味ですが、統合失調症そのものとは別の障害です。 統合失調質パーソナリティ障害のある人は、他人と親密になりたいと思わず、一人で過ごすことを好みます。家族以外に親しい友人や信頼できる人がいないばかりか、時には家族さえも疎遠になります。
他人と仲良くしたいとは思っても親密になりたいと思わないし、親密になりかけると避けようとする力がどうしても働いてしまう。
何でもかんでも自己完結しようとしてしまう。他人からのアドバイスなんかをあまり受けつけたくないタチではある。
家族のことは好きだけれど、家族という関係に空虚なイメージを抱いていて、心のどこかで疎遠になっているのも認めざるを得ない。いや、でも家族のことは大好きだな。
見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。見られる傷みに耐えようとして、人は歯を向くのだ。
最近読んだ小説の一節。
見られることへの憎悪が膨らむばかりで、ちっとも他人を見ようとしない。そんな自分が許せない瞬間は結構ある。
綺麗なものはくもりガラスの向こうにしか見えないのに、それを見ようとするだけのまっすぐな視線が自分にはない。常にどこか諦めを感じながら生きている。
結局は他人の痛みを拒絶したいだけなのかもしれない。
それなのに、身体は痛みを欲しているから冬という季節が好き。冬の寒さは否が応でも痛みを感じさせてくれる。この上ない生存の実感を与えてくれる。
そういえば異性を好きになったことがないかもしれない。この人とセックスしたいなとは思っても、その人の内部まで探ろうとは全く思えない。だから、自分には恋愛観が欠如している。恋愛=セックスぐらい単純ならいいのに。
ここまで書いたことは、普段の自分を知ってる人からすると意外かもしれないけれど、それも自己顕示をしてこなかったからだと考えれば辻褄が合ってしまう。怖すぎる。
でも、歌ってる時や音楽に向き合っている時だけは感情に突き動かされる。音楽に救われている、というより生かされているなと日々実感している。色々付き合わせてしまっているバンドメンバーには感謝してもしきれない。
きっとこれから自分からも他人からも遠ざかっていくと思う。
淡いのも濃いのも近いのも遠いのも、全ての関係が光っている。遠くても関係さえあればいい。
離れよう、離れようとする動きが、明るい線を描いていく。
何事に対してもきっとそれぞれの距離があって、それだけで十分。そう思い続けていたい。
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